私の教育についての考え方

©Tomofumi Oka

Email: t-oka@sophia.ac.jp

目次

  1. 大学教育
  2. 授業
  3. 教材づくり
  4. 評価
  5. 演習

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  1. 大学教育はサービス業と考える

    上智大学のような私立大学は学生や学生の保護者から多額の授業料を受けて成り立っている。したがって、教員は、一種の(教育)サービス業にならざるを得ないと思う。その考え方に立って、以下のような方針をたてて実行したい。

    教員をサービス業と考えるなら、授業は商品である。質のよい授業(商品)を提供するのが良い教員だと考える。「点数の甘い教員」や「学生をよく飲みにつれていく教員」「就職の世話をよくする教員」などを「良い教員(先生)」と考えている学生は多い。しかし、教員をサービス業と考える立場からは授業が第一だと考える。そこで、私は講義の終わるたびに無記名の質問紙を配り、学生による私の授業の採点を行い、その結果を学生に公表している。(一部をホームページに記載してある)

    テキストは、教育環境に応じて変えられるべきである。たとえば数百人規模の学生を前に講堂で行われる授業と、10人前後の学生とお茶を飲みながら語り合う授業とでは、使われるテキストは違うはずである。私は、上智大学の教育環境に適したテキストを提供するために、私の担当する授業のすべてに自家製のテキストを作っている。

    大学教員は研究者としての側面ももっており、そのため自分の研究のためにゼミの学生を助手のように使う例が少なくない。しかし、教員をサービス業と考えるのなら、学生は「お客さん」であり、教員は、そのニーズに応じて働くだけである。自分の研究を手伝わせたり、学生の働きで自分が成果を上げようとすることは、サービス業としての原則に合わない。

    卒業したら、もう授業料は払っていないのだから、学生−教員の関係は終わり、個人と個人のつきあいになる。卒業生が私のことを『先生』と呼ぶたびに、私は「もうあなたの『先生』ではないですよ」と答えなければならない。一方的に教員がサービスする期間は在学中だけである。

    商店には「返品はできません」という掲示がある。サービス業は「お客」には契約をきちんと守ってもらうよう要求する。私も、自分の授業でかかげる契約を守ることを学生に要求したい。契約は学生が授業を選択する前に公表する。私の授業の契約(内容)は、ホームページに掲載してある。契約違反の学生には授業を受けることを遠慮していただくが、これはホテル業の人々がホテルのルールを守らない客を帰すのと同じことで、サービス業としての教育という理念に反することではないと思う。

    Social work practiceのモデルには、クライエントとの契約を重視するthe contract model(契約モデル)と契約にとらわれず最大限クライエントを援助するthe covenant model(誓約モデル)がある。私の教育活動は「契約モデル」をとりたい。なぜなら、いまの大学の教育システムでは「誓約モデル」は、教員への教育活動以外の義務(研究義務および社会実践義務)があるために実際的ではないと思われるからである。

    講義は私の商品なのだから、その対価を支払っていない人の聴講はお断りする。実際、私の学生時代には、いわゆる「もぐりの学生」が多く大学にきていた。履修登録していないのに講義にでてくる。そういう学生を「正規の学生よりも熱心だ」と言って歓迎する教員もいたことは事実である。しかし、私は歓迎しない。紙芝居でも「タダ見」はいけない。講義も同じ。私立大学は学生たちから多額の授業料を受けて講義を開いている。それを自分だけタダで受けようとするのは電車のキセルと同じだと思う。「一人ぐらい増えても同じではないか」と思うかもしれないが、それは上智大学の少人数制の教育システムを知らないからそう思うだけだろう。

  2. 講義は共に考える機会にする

    ヨーロッパ中世の大学の授業は一般には手にはいらない書物を教授が朗読し、それを学生が筆記するという形態をとっていた。一方的に知識を伝えるだけの講義は、インターネットで自宅から世界中の情報を集められる現代にあっては、もう時代錯誤であると思う。大学の講義は、講義に出席した学生たちや教員と顔をつきあわせて話し合うことができるということにしか、意味は残っていないと信じる。

    以上のような考え方から、講義の時間の半分(以上)は、バズ(隣の人どうしで自由に話すこと)とロールプレイ(グループワークの授業ではゲーム)で使いたい。バズやロールプレイをするための共通の知識を提供するために講義をする。ただ、どのようなバズ、ロールプレイを行うことが、学生たちの理解を深めることにつながるのかは、まだまだ試行錯誤の段階である。

    学生が自分の書いたレポートを読み合うことは、知的な刺激になってよい。97年度まで地域福祉論でしか試みていなかった、レポート交換を、98年度は社会福祉援助技術各論IB, IIAの授業でも試みたい。レポートを交換するだけではなく、互いに短いコメントとサインを書き合うことを97年度から試みている。

    ロールプレイは通常、4人から6人の小グループで行う。そのなかに意欲のない学生がいた場合、グループの雰囲気を壊し、他の学生の迷惑になる。したがって、意欲のない学生が出席することがないように講義の出席はとらない。このような方針を出しているために、私の授業は、比較的意欲の高い少数の学生たちだけが出席する傾向にある。(学生による授業評価のページを参照)

    「社会福祉士」が1987年に制定されてから、大学の授業も国家試験対策を意識せざるをえなくなった。学生たちも受験対策を目的にした授業をするよう要望が出たこともある。しかし、受験対策の授業が、新しい社会福祉を切り開いていく人材を生み出すとは思えない。受験勉強とは本質的に過去の情報を記憶することにすぎず、現在の情報を入手し分析し、未来の実践に向かう知的訓練とは無縁のものである。社会福祉実践に求められる知識は、人権意識の向上、市民社会や行政施策の変化等によって日々、変化している。5年前に覚えた知識は5年後には使えない。そんな状況いおいては、むしろ知識を求める原理や知識を生み出す技法を学ぶことが、より重要であるし、実用的でもあるだろう(当初は実践的ではないように見えるかもしれないが)。

    社会福祉は、学問としてもたいへん興味深いものである。その興味深さ、面白さを講義で伝え、それを卒業後も独力で学んでいくだけの原理的なこと(視点や考えかたなど)を身につけてもらうことが大事だと思う。かつては、私も「これは社会福祉従事者には常識になっている制度だから、授業でも伝えておこう」と思い、そのことについて話したことがある。しかし、心のなかでは「実際は無駄な制度ではないか」と思っていた。「でも、これについては話さなければならないだろう。卒業してから『地域福祉論の講義で学ばなかったの?』と聞かれて、学生たちが恥をかいてはいけないから」と思い、講義をしていた。そんなときは講義に力が入らないし、話している私が「つまらないことだ」と思っているのだから、聴いている学生たちが面白いと感じるはずがない。その制度の重要性がわからないというのは私の教員としての限界であり、その限界を素直に認めようと思う。そして、その限界を超えたことを私は講義では行わない。限界を超えたことはできないからである。いいかえれば、わからないことをわかったような顔をして講義しないということでもある。

  3. 独学可能な教材づくりをする

    意欲のない学生に「出席しなくてもよい」と言っても、その学生たちは、それではテストで良い点がとれないと思い、意欲がなくても出席するようになるだろう。そこで、「授業に出席しなくてもよい」ことを保障するために独学可能な教材を自分でつくっている。

    大学の授業は「考える」ことを重点とすることから「覚える」ことを軽視する学生が多い。しかし、どのような学問においても最低限のことは「覚える」必要がある。そこで私の授業では暗記式の小テストを数回おこなう。現代の学問は急速に変化しており、そこで覚えた語句が卒業後、役立つことは多くないかもしれない。しかし、基本の語句を覚えることによって学問の大枠がつかめると思うので、これを重視したい。語句は試験が終われば忘れてよいと思う。その全体像がイメージできれば、それでいいと考えている。

    なおテストで記入を要求されている語句は、私の自家製のテキストを読んでおけば自然にわかるようになっている。逆にいえば、他大学でグループワークを講義している教員が、私のグループワークのテストで満点をとるということはほとんど不可能である。これはテストとして不正確な解答を要求しているように見えるかもしれないが、テキストで、その語句が使われている文脈が充分に説明されていると考えていただきたい。すなわち、テストはテストだけで完結しているのではなく、テキストの文脈が背後に織り込まれているのである。したがって、テストだけをみて「こんなテストはできるはずがない」と判断しないでいただきたい。テキストを読めば誰でもわかるようになっているのである。

  4. 評価は相対的なものにする

    暗記テストの点数が連続しているのに対して、論文評価の点数は非連続的である。論文評価のポイントは、論文としての形である。論文として形のととのったものは、それだけテーマを深く考えた結果であると考える。私は、多くの論文(レポート)のなかから、まず論文としての形をもつに至っていないものを選び「可」とする。そして、残りの論文のなかから特に優れた少数のものを「優」、やや優れたものを「秀」として選び出す。残りの大多数を「良」とする。優秀良可を点数化(点数の配分は科目によって違う)し、それを暗記テストの点数合計に加える。

  5. 演習は出会いを大切にする

    「講義は出席をとらない」と述べたが、逆に演習は出席を重視する。

    演習は少人数でしかできないものが多い。私の演習は、ゼミでも援助技術演習でも、学生に対する要求水準を高く設定しており、人数をしぼる結果になっている。毎年、10人から20人の間である。

    ゼミを3年4年と連続履修を勧める教員が多いかもしれないが、私は、あえて「ゼミは連続履修できない」ことにしている。その理由は、3年4年をできるだけ対等な立場におきたいこと。全員が同じスタートラインに立って、学んでいきたいこと。「2度目はない」という緊張感を3年生に感じてもらいたいこと、などが理由としてある。