仲間意識と会員意識の乖離:SHGの「会員二極化」仮説

岡知史 (上智大学)

キーワード:セルフヘルプグループ、組織的社会化、仲間意識、会員意識、難病児親の会

自主シンポジウム『セルフヘルプグループ研究:援助の特性から専門的支援まで』にて発表

日本社会福祉学会第50回記念全国大会・(2002.10.26. 於:日本社会事業大学)

社会福祉学会発表原稿

配布資料(PDF)

上智大学の岡と申します。最初に、今回の研究の要約をお話しさせていただきます。

私は、難病の子どもの親の会を対象とした質的インタビュー調査をいたしました。そこで見えてきたことは、この親の会では、仲間意識と会員意識が別のものになっているのではないかということ、つまり、「私たちは同じ体験をした仲間なのだ」という仲間としての意識と、「会をつくって、会活動を盛り上げていこう」という会員としての意識が、別々になっているのではないかということです。そして、その結果として、これが熱心なリーダー層と受身的な一般会員という会員の二極化をもたらす一つの要因になっているのではないかというのが、私の発表の要約です。

次に、発表の構成についてお話しします。まず、この研究の意義と先行研究について述べます。そして、私が今回とった研究方法についてお話し、インタビューの結果を紹介して、それを理論的にどう理解するかという点について述べ、最後に、SHGの組織論的なモデルを提示したいと思います。
まず、研究の意義と先行研究ですが、セルフヘルプグループの一般会員の依存傾向、あるいは一部の役員だけの過剰な負担を指摘する研究者は多いのですね。つまり、セルフヘルプグループの多くの会員が、グループの運営についてはあまり熱心ではなくて、一部の役員に負担が集中してしまっていて、その結果、会員が活動に熱心な人とそうではない人に二極分化してしまっているということ自体は、なんら新しい事実ではないわけです。

ところが、なぜ、そうなるのか、それをどうやって解決すればいいのかという点については、ほとんど研究がなされていないわけです。

したがって、SHGがかかえている、こういう問題に正面から答えていこうとすることは、SHGをソーシャルワークの立場から援助しようとする場合に非常に大事な問題だと思います。

次に研究方法ですが、まず、私の研究は関東近辺で活動している難病児の親の会を対象としています。この親の会は、ゆるやかな連絡会をつくっていまして、私は、1993年よりフィールドワークとして、その連絡会に参加して、親の会の役員の方々と交流してきました。

その間、グループインタビューも含めて31回の質的インタビューを行いまして、21団体の親の会の役員のお話を聞くことができました。

そのインタビューの内容は多岐にわたるものだったわけですけれども、そのなかで役員のなり手不足に関係する部分に注目して、インタビューの記録を読んでいきました。

そして、その一方でこの問題にアプローチするための概念的な枠組として、組織論の概念について調べ、インタビューのデータを解釈するという方法をとりました。

そして、インタビューの結果なんですが、ひとつは、仲間意識は必ずしも会員意識につながらないということなのですね。これは、たとえば、こういう話がインタビューのなかで語られました。

つまり、非常に珍しい病気にかかった子どもの親がいて、同じ病気の子どもの親と出会いたいと強く願っていたわけですね。そしてその結果、ようやくいくつかの家族が出会うことができたわけです。それで、いっしょに泊まって、もう涙、涙で体験を語り合ったというのですね。ところが、じゃあ、このいくつかの家族が中心になって、その病気の親の会をつくりましょうよと、ひとりの人が提案すると、「どうして、そんなことをする必要があるの? 同じ病気の人と出会えた、そしてわかりあえた。それで充分じゃないか」ということで、誰も賛成してくれなかったというのですね。

つまり同じ病気で同じ体験をしたという強い仲間意識があっても、組織をつくってそれを維持していこうという会員としての意識に必ずしも結びつかないということです。

これは、仲間意識が会員意識につながらない例だったわけですが、その会員意識をグループのメンバーがもってもらうためには会の組織のことを知ってもらう必要があるわけですけど、親の会では子どもの病気のことや治療のことを話し合うことで例会は終ってしまっているわけです。ですから一般の会員が、親の会の組織的な現状や問題点を学ぶ機会が充分に提供されていないのですね。

こういったことを理論的にどう理解していけばよいかということですが、私が注目したのは、組織的社会化という組織論のなかではよく知られた概念でした。これは簡単に言えば、組織は、その構成員が組織の一員として働くことができるように、その構成員を変えていくということなのですね。この組織的社会化がないと組織は単なる人の集まりであって、組織が成立しないわけです。

私は、SHGがうまくいかないひとつの原因として、この組織的社会化がうまくいっていないことがあるのではないかと思うわけです。つまり仲間意識が強烈であるために、それを会員意識と混同されてしまっていて、役員自身がメンバーの会員意識をつくっていくこと、言い換えれば、組織的社会化を行っていくということを積極的に行なってこなかったのではないかと思ったわけです。

さらに、この組織的社会化という点から見ると、組織は機能的次元、階層的次元、包含的次元という3つの次元に分けて見ることができるといわれています。まず、機能的次元とは、これは個人が組織に組み込まれていくときに、組織のどの機能に組み込まれるのかを見ていくのかを考えていきます。階層的次元というのは、個人を組織のどの階層に組み込まれるのかを見ていくわけです。それに対して包含的次元というのは、組織の、どこまで中心に近いところに、あるいは遠いところに組み込まれているのかを見るわけですね。

で、私の調査した親の会を見る場合、組織の機能的次元としては、会員の間でその役割が複雑に分かれていることはありませんから、あまり見るべきものがないのですね。同じように階層的次元についても、親の会のなかではみんな平等だという理念がありますから、上の人の命令で下の人が動くというような上下関係はないわけで、これもあまりはっきりしたものがないわけです。じゃあ、どうなるかというと、この包含的次元がよくあてはまっていて、組織として親の会を考えた場合、活動の中心にいるか、周辺にいるかということが大きな問題になってくると思うのです。

さらに、その組織的社会化のプロセスを考えた場合に、組織論のなかでは、付与的社会化と剥奪的社会化という分け方がありまして、付与的社会化とは「いまある、あなたのあり方は、それでいいのですよ」という肯定的なメッセージとともに行われる社会化なのですね。逆に、剥奪的社会化とは、その人のいまのあり方を否定するような感じで行われる社会化なのですね。どちらの社会化が個人に受け入れられやすいかというと、もちろん自分を肯定したまま組織が個人を受け入れる付与的社会化には抵抗が少なく、逆に剥奪的社会化には抵抗が強いわけです。

実は、こういった考え方と、今回のインタビューの結果を合わせると、ひとつのモデルを作ることができます。

これは、組織を、包含的次元で切ってみた図なのですが、親の会では、活発な少数のリーダーが中心にいて、片方で受身的なフォロワーが周辺にたくさんいるわけです。うまく機能している組織では、この空白になっている部分に、積極的なフォロワーがいるはずなのですが、それがいないので、ここが中空になってしまっているわけですね。ここに組織的社会化のプロセスという視点を加えると新しいイメージが出てきます。

つまり、病気の子どもをかかえた親が、親の会に最初に出会ったときは付加的社会化が行われて、会に迎えられるのですね。つまり、病気の子どもをもったことの辛さとか、生活の難しさなどを訴える気持ちをそのまま親の会は受け止めてくれるわけです。ですから、すんなりと受動的なフォロワーになれるわけです。

ところが、さらに組織的社会化が進んで、役員になろうとすると、がらりと変わって剥奪的社会化が行われるようになるわけです。たとえば病気の子どもを看ながら、役員として総会の準備をしたり、行政との交渉をやったりすることはたいへんな負担で、自分の生活を変えることを迫られるのですね。

ある親はインタビューのなかで答えていたのですが、役員になったら、自分の子どものことよりも、親の会のこと、つまり病気の子どもみんなのことを考えろと言われるそうです。これは、もう剥奪的社会化であって、なかなかそれを受け入れられる親はいない。だから、ここの部分が空白になると考えられるわけです。

では、この空白部分を埋めるためには、どうすればいいのか。それに対する私の考えを述べることで、この発表の結論とさせていただきます。

これまでの話を要約しますと、親の会は組織である以上、構成員の組織的社会化はやっていかなければならないわけですが、仲間意識が強いために、その組織的社会化の必要性が明確に意識されないままになっている。しかし、実際には組織が存続している以上、組織的社会化は幾分かは行われているといえるわけですけれども、それがどういう状態で行われているかというと、このAのパターンが示しているように、新しく会員になるときには、それまで生き方や気持ちをそのまま受けてもらえる付加的社会化が行われるのですが、会員から役員になるときには、いままでの生きかたを変えることが迫られる剥奪的社会化が行われているという側面があるのですね。で、その社会化の流れの急変のために、ここ(左)からこちら(右)への流れが悪くなって、SHGの「中空」を作る原因になっているのではないかと私は考えたわけです。

ですから、その問題のひとつの解決方法としては、ひとつは仲間意識と会員意識を明確に区別し、組織的社会化の必要性を認識して、このBのパターンで示したように、付加的社会化から剥奪的社会化へと徐々に変わっていくような形にしていくと、流れがよくなるのではないかと思うのですね。つまり、たとえば、会員になったときから、ただ、ありのままを受けとめる付加的社会化だけではなく、少しだけでも、その生きかたを変えてもらう剥奪的社会化を行っていき、会からのサービスを受けるだけでは充分ではなくて、会に自分から積極的に貢献することも大事なのだというメッセージを送っていくということですね。また一方では、会員が役員になるとき、ただ生きかたを変えていく剥奪的社会化だけではなく、役員になった人たちのいままでの生きかたや負担感も認めていくという付加的社会化の要素も加えて、徐々に社会化の内容を変化させていくという方法を試みることができると思います。

以上で、私の発表を終わります。ありがとうございました。

学会当日の質疑応答

フロアーから出た質問や意見 それに対する答え

難病団体はself-help groupというよりも、self-help orgnizationなのではないか。 Self-help groupとself-help organizationとは区別して論じるべきだと思う。

たしかに日本の難病団体のなかには大きな予算で運営され、職員も置いているところがあり、 それはself-help organizationと呼ぶべきものかもしれません。しかし、 私がここで調査した21団体のうち、職員を置いているところは3団体にすぎず、 あとは小規模のものがほとんどです。

調査対象の団体の規模等についてもっと詳しく報告すべきでした。

会員の大多数が依存的だということだが、それはそれでいいのではないだろうか。

まずはリーダー層に対して、グループ運営上、困っていることを質問して出てきたことが、 役員のなり手不足であり、あるいは依存的会員が多いことだった。実際に、リーダー層は この問題で悩んでいるのです。

中心になっている役員の負担は大きいということだが、中心になって生き生きと活動されている人もいる。 もっと違う見方もあるのではないか。

量的調査はものごとの原因をしぼりこむような目的で行われることが多いと思いますが、 質的調査は、いままで取り上げてこられなかった問題を明らかにすることにあり、考えられる範囲を広くする ということにあると思います。私の今回の発表は、組織的社会化のありかたが受身的会員を多くする唯一の大きな原因である ということを言っているのではなく、こういう考えかたもあるのではないかという、新しい視点を提供することが 私の目的だったのです。