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セルフヘルプグループとサポートグループ:自死遺族「本人の会」の事例を用いて

岡知史

以下は、岡知史・Thomasina Borkman著「セルフヘルプグループとセルフヘルプ・サポーター、そしてソーシャルワーク」『ソーシャルワーク研究』第37巻3号(2011年10月31日発行)168-183頁から第1章のみを抜粋したものである。

この抜粋をウェッブで公開したいと思った理由は、二つある。ひとつは自死遺族「本人の会」においてセルフヘルプグループとサポートグループの混同が見られるので、その概念的整理を紹介したいということ。もう一つは、グリーフケアに対する批判的な研究の流れを紹介したいということである。

元の論文については無料配布しているので、メールで連絡(アドレスはページ下に記載)していただければPDFで配信します。論文の英語版はここからダウンロードできます

なお、ウェッブ上で読みやすくするために、もとの論文とは違って改行を多くしていることを断っておきます。



当事者主導のSHGあるいは専門職主導のサポートグループにかかわることを願う専門職にとって、この2種類のグループを区別することは非常に大切であることを私たちは強調してきた(Oka, 2010; 岡・Borkman, 2000; 岡・高畑, 2000)(注1)。

SHGとサポートグループの最も本質的な違いは、誰がグループを所有し、グループの方向性を決定するのか。それは当事者なのか、専門職なのかということである(White & Madara, 2002, p. 29)。

SHGにおいては、当事者以外に誰もグループに関することを決めることはできない。

いかにミーティングを開くか、どのような枠組みでものごとを考えていくか、組織としてグループにどのような構造を考えるか、そして場合によってはグループを解散するかどうかも当事者だけで決めなければいけない。

研究者によっては、SHGを当事者が主導する心理療法のグループととらえ、伝統的な心理療法集団との比較のなかで、その心理学的な特徴にのみ注目している(たとえばHurvitz, 1977; Lieberman, 1990)。

しかし、本稿の読者であるワーカーは、SHGの心理療法的な側面について議論することには大きな関心をもたないだろう。

そうではなく社会的な側面について議論したいのである。

しかしながら、その社会的側面は当然その社会や時代、当事者の問題によって大きく違ってくる。

たとえばKurtz(1997)は、サポートグループをSHGと心理療法のグループの中間の形として理解しているが、そこでは「SHGは典型的にはメンバーとしての資格がある人なら誰でも受け入れるが、心理療法のグループはそうではない。心理療法の専門職のグループのサービスを利用するのは有料であるが、SHGでは利用料が課せられることは希である」(p. 6)という。

このような差違は日本の自死遺族の支援では見られない。

専門職主導の多くのグループは公的な精神保健サービスの施設や公的な助成を受けた民間の団体によって運営されており、料金は発生しない。

要するにSHGとサポートグループの差違を一般化するのは難しいということである。

そこで本稿では、自死遺族の支援をめぐって特に顕著なSHGとサポートグループの差違に注目することにした。

というのは、その差違は必ずしも他の分野でも普遍的に見られるものではないにしても、それを理解することで、なぜSHGのリーダーとグリーフケアの専門職の間で厳しい論争があるのかが見えてくるはずであり、また、これを考察することによってSHGとサポートグループの差違の重要性に気づくことができると考えたのである。

その差違を以下のように、哲学、コミュニティ、そしてアドボカシーという項目のもとにまとめてみよう。

哲学:「ときはなちに向かう考え方」

十分に発展したSHGは、専門職とは違った視点で、メンバーの問題を理解し、解決に向かっていくという「理論的枠組み」をもっている。

そのSHGの「枠組み」は多くの研究者を魅了してきた。たとえばAntze (1979)は、それを「イデオロギー」と呼び、次のように述べる。

SHGは自らが取り組む問題についてある種の智恵をもっていると主張する。

すなわち回復への秘訣としてメンバーが尊重する特殊な「教え」の体系があるのである。. . .

その「教え」を私は「イデオロギー」と呼びたい。. . .

これには、グループが明確に表明している信念だけではなく、グループの慣例、行動規範、スローガンや、好まれて使われる言葉の表現も含まれている。 (p. 273)

この「イデオロギー」という用語は、その後、Suler(1984)KurtzとChambon(1987)の論文で使われたが、1990年代になると使われなくなる。

それは「『助け合いのイデオロギー』などというと、SHGが宗教的なカルト集団のように誤解されたり、あるいは専門職やその他の人々の集団よりも、イデオロギー的だと思われたりしてしまう」(Kennedy & Humphreys, 1994, p. 182)からなのだろう。

それに代わってKennedyとHumphreys (1994)は「世界観」という言葉を用いた。しかし、この用語も他の論文ではほとんど使われていない。

これらの論文では「イデオロギー」であれ「世界観」であれ、もっぱら心理学的な現象に関連して論じられている。

しかしながら、そこでは社会的環境、特にSHGのメンバーにとって抑圧的な社会的条件は十分に考慮されていない。

一方、Borkman(1999)が提唱した「ときはなちに向かう考え方」(a liberating meaning perspective)という概念では、社会的な要素も含まれている。すなわち

スティグマが与えられた状況にある人々は、自らを解き放つ考え方を必要としている。

それは人々を自己嫌悪と否定的な自己像、自分たちは良くないのだという思いから解放するのである。

人々は自らの人間性を再確認し、問題を建設的に解決する方法を求めている。(p. 115)

自死遺族のSHGがグリーフケアの専門職によるサポートグループとどのように違うかを論じるとき、この「ときはなちに向かう考え方」という概念が、他の用語よりも有用だろう。

なぜなら、この概念は、より社会的な問題に関係し、SHGは自らを「心理治療グループ」とは考えないからである。

次に、日本の自死遺族の「ときはなちに向かう考え方」を紹介し、遺族が置かれた状況について遺族へのカウンセリングサービスを含めて考えてみたい。

専門職サービスとグリーフワークアプローチ

最初に自死遺族がどのような社会的環境のなかでSHGを結成するに至ったかを述べよう。

日本では長い間、自死する人が多く (McCurry, 2006; Yamamura et al., 2006)、約300万人もの家族が自死遺族として残ることになった(Chen et al., 2009)。

政府は自死予防のための対策を始め、そこでは自死遺族が事後対応(postvention)の対象として支援されることとなった (Yamashita et al., 2005)。

その結果、多くの場所で専門職主導のサポートグループが結成されることとなった (Khan et al., 2008)(注2)。

専門職による遺族支援については、ここで二つのことを確認しておく。

ひとつは自死遺族のグリーフケアの効果については日本ではほとんど疑われてこなかったということである。

しかしBreen (2010-2011)も述べているように 「『正常な』悲嘆にある人に対する(専門職の)援助はほとんど効果がないか、あるとしてもごく僅かであることが調査研究によって示されている」(p. 285)(Currier, Neimeyer & Berman, 2008; Jordan & Neimeyer, 2003も参照)にもかかわらず、このことは、あまり日本のグリーフケアの専門家によって論じられていないと思われる。

このような状況では、専門職主導のサポートグループは役に立たないと公言することは(たとえ、その体験からそれを実感したとしても)遺族にとって容易なことではなかったということである。

二つめのポイントは、日本の死別ケアにかかわる専門職は、基本的にグリーフワークのアプローチを使い、その実践に悲嘆回復段階説を実践に取り入れているということである(自死遺族ケア団体全国ネット, 2006, 2007, 2008)。

Breen (2010-2011)が、グリーフカウンセリングの実践についての文献をレビューして以下のように要約したことは、日本においても当てはまるのである。すなわち

カウンセラーたちは、回復への段階とは、必ずしも順番どおりに現れるわけではないし、そのとおりになるものではないことを認めてはいるものの、それでも次のように信じているのである。

すなわち悲嘆は期限付きのものであるが、クライエントは特定の段階で止まってしまうこともあるから、多くの場合、クライエントと亡くなった人との関係を終結させるよう促すことを優先的に考えるのである。. . .

このような悲嘆についての理解は、次のようなグリーフワークの仮説に一致する。

すなわち、健康な悲嘆のためには、悲嘆の痛みを外に表現することが必要であり、それによって悲嘆回復のプロセスを通過するのである。. . .

このようなグリーフワークの仮説は、悲嘆とは時間的に限りあるものとし、悲嘆はいくつかの段階を経て(終了する)死別への反応であると理解している理論家にとっては中核的な考え方なのである。

このようなグリーフワークの仮説は(実際には)実証するデータに乏しく、理論的にも批判されているのだが、さまざまな学問分野での大学の教育課程でも、大学卒業後の訓練過程でも、悲嘆を理解するときには欠かせないものとして教え続けられている。(p. 286)

さらに問題なのは、このグリーフワークの仮説に「1980年代後半から非常に厳しい批判が出ていて」(Bonanno & Kaltman, 1999, p. 771) 、こうした考え方や悲嘆回復段階説に対する批判や疑いが英語文献のなかでは見うけられ(Holland & Neimeyer, 2010; O’Rourke, 2010) 、科学的な根拠のない「神話」(Holmanら, 2010; Konigberg, 2011)であるとまで言われているが、こうしたことは日本では、あまり知られていない。

その結果として多くの専門職主導のサポートグループは悲嘆回復段階説に基づいて実践されていると思われ、そこに参加した遺族は、次の段階に進み、最後には回復したという段階にまで到達するように勧められているように感じる。

こうした専門職は「悲嘆がいつまで続いていて、回復できないことは、『病的な』悲しみの典型であるとしてしまう」(Wortman & Silver, 1989, p. 352) のである。

そして悲嘆が段階を経て回復していくというグリーフワークの「非現実的な仮定が保健専門職や周囲の人々に共有されている場合. . . 喪失を体験している人の苦痛を必要もないのに、いっそう大きくさせ、自分たちの喪失に対する反応はその状況には合わない不適切で異常なものだと思いこませることにつながってしまうかもしれないのである」 (Wortman & Silver, 1989, p. 355)。

日本においては、自分たちの支援がいかに効果的かということを示すデータを得るために、サポートグループの参加者にはグループ参加のたびに回復の程度を自己評価させることがある。

専門職が作成した尺度に沿ったこのような自己評価は、先にWortmanとSilverが指摘したように、遺族のさらなる自己否定につながる恐れがあるのである。

なぜなら遺族は自分の気持ちを点検することで、まだ回復が遠いことを感じ、自分自身のどこかが変だと思いこんでしまうかもしれないからである。

さらには、死別をめぐる文化の違いによって「最終的な目標は亡くなった人との愛着的なつながりを切ること」(Bonanno & Kaltman, 1999, p. 760)というグリーフワークのアプローチは、日本の人々には受け入れがたいものかもしれない(山添, 2011)。

死者とどう向き合うかという問題は大きく文化に依存するのである(Rosenblatt, 2008)。

そしてグリーフワークの考え方は「北米で流行している実践の考え方が、特定の文化に片寄っているという結果であり、そこにおいて悲嘆は孤立した個人の経験とされ、回復が進むにつれて死者とのつながりが切れることが強調される」(Shapiro, 1996, p. 313) のである。

Shapiro (1996) によれば、

精神保健の分野での死別についての考え方は(特定の)文化のなかにある考え方と、専門職の集団のなかにある思い込みを無造作に組み合わせたものでいっぱいになっていて、その思い込みは、現在の文化のありかた、専門職のありかたをそのまま肯定するようなものになっている。

その思い込みのなかには「死別体験はある時点ではっきりと終わるものだ。死者の面影を思い続けるということは病的なことである」という考え方も含まれている。(p. 314)

悲嘆カウンセリングで使われる概念は科学的なもので、したがってどの文化にある人々にも適用可能な普遍的なものだと思われているが、実際はそうではなく特定の文化に依拠していることはStroebeら(1992)も述べている。

繰り返しになるかもしれないが、重要なことなので以下に引用する。

悲嘆カウンセリングや悲嘆にかかわる心理治療は原則的に次のような考え方に基づいている。

つまり時間が経過すれば、遺族は死者とのつながりを切り、愛着を諦め、新しい自己像を築く必要がある。

その新しい自己像は、亡くなった人とは関係がないもので、人は他の人との関係を築いていかなければいけないという考え方である。(p. 1206)

ある日本の自死遺族は公開された討論会で「『喪の作業』(グリーフワーク)を経ることによって最終的に新しいアイデンティティを獲得して人生を歩み始めるということ . . . (に)非常に抵抗感があ(る)」(自死遺族ケア団体全国ネット, 2010, p. 62)と述べているが、これはこの文化の差違というものだろう。

これと対照的なのが、日本の文化に注目したKlass (2001) の考え方である。

彼は「死者との関係が継続することは、日本では昔から文化の一部になっている」(p. 751)とし、「日本では死者の魂は、生者と交流している」 (Klass & Goss, 1999, p. 550)という。

さらにKlassは、この問題について歴史的、宗教的な(おそらく日本の多くの人は考えてもみなかった)考察をしている。

つまり「西洋の歴史においては、家族や親族、部族など亡くなった先祖とのつながりは断続的に抑圧されてきた。それはそのときの政治勢力と直接につながっていた唯一神との関係をより重視したためである」(Klass, 2001, p. 759)という。

またキリスト教の歴史においては「天国についての対立的な考え方が続いていた。つまり天国とは人間的な場所であって、私たちが地上において愛した人とのつながりがそこで継続される場所なのか、それとも天国とは非人間的な場所であって、そこでは瑣末な人間関係は、唯一神とのつながり、あるいは唯一神との融合に取って代わられるのか、という二つの考え方があった」 (Klass, 1999, p. 169)。

これが西洋諸国において「20世紀の大半において、(死者との)永続的な絆は悲嘆における病的な症状であると見なされてきた」(Klass, 2006, p. 844)ひとつの理由だというのである。

さて、ここまで読まれた読者は、なぜ日本の自死遺族たちが専門職主導によるサポートグループに失望して自らSHGを結成するに至ったのか理解していただけたと思う。

これらのグループは以下に述べる「ときはなちに向かう考え方」を展開するようになるのである。    

「悲しみとともに生きる」

日本の専門職主導のサポートグループは精神保健関係の施設や病院で開かれていることが多い。

このことは自死遺族の問題が、精神保健の枠組みでとらえられていることをよく示している。

SHGのメンバーによれば、これがサポートグループに遺族が引きつけられない理由の一つになっている。

というのも、遺族のなかには精神保健専門職に不信感をもっている人がいる。

かれらの愛する人は精神疾患をもっていたが、精神保健専門職はその命を救うことができなかったからである。

あるいは精神保健にかかわる施設が、死者についての悲しい記憶を思い出させるのである。

また遺族は精神科の患者として自分たちを扱ってほしくないと考えている。

多くの遺族はまだ大きな悲しみのなかにいるので、グリーフワークの専門職は遺族を「回復途上の人」として導き、また保護する対象とみなすのである。

それに対して自死遺族のSHGは「悲嘆の病理化」(Granek, 2010)を拒否する。

そして「悲しみとともに生きる」ことを正常なことだとする。

専門職のケアが必要な患者として回復を目指すのではなく「悲しみとともに生きる」ことの重要性を強調する。

専門職は継続する悲嘆を「病的」とし、それによって悲しみ続ける遺族に否定的な自己像を押しつけてしまうのだが、それを撥ね退けるのである。

遺族はもはや自らを無力とは考えない。

回復という与えられた目標を拒絶しながら、彼らが感じる内なる力とは、Bonanno(2004)がレジリエンス(以下「しなやかさ」と表記)と呼ぶものであろう。

「回復」という用語は、正常な状態が一時的に診断基準を満たすかあるいは満たさない程度の精神症状、たとえば鬱症状やPTSDになり、それが通常、短くても数ヶ月続いて、そののち徐々にきっかけになった出来事が起こる以前のレベルまで戻っていくという道筋を暗示している。

完全な回復は、かなり早く現れるかもしれないし、長くて1年や2年はかかるかもしれない。

一方「しなやかさ」とは、安定したバランス状態を保つ能力を意味する。. . .

喪失やトラウマに対する「しなやかさ」とは(他の出来事とはつながっていない)単独の、潜在的には非常な混乱をもたらす特別な出来事、たとえば親しい人の死や激烈で生命を脅かす危険性のある状況にさらされた人が、その特別な出来事を除けば普通の環境において、心身の働きを比較的安定した健康的なレベルに保つことができるという能力である。

さらにいえば「しなやかさ」は単に異常な精神症状がないということだけではない。

「しなやかな」人は正常な状態においても一時的な混乱は経験するかもしれない。

たとえば、何かにとりつかれたような状態や不眠が数週間続いたりすることもあるだろう。

しかし全体的には安定した一貫して安定した心身の状態を保ち、生産的な経験とポジティブな感情をもつことができるのである。(pp. 20-21)

岡が自死遺族「本人の会」のリーダーに聞いたところ、会のわかちあいのなかでは、どのようなことが話されても「だいじょうぶですよ」と受けとめられるということだった。

「異常だ」とか「精神的に病んでいる証拠だ」と言われることがない。

たとえば、ある母親は死んだ息子の妻に対する強い怒りを表現し、「呪いのわら人形」を作った話をした。

ある親は、愛する子どもの腐乱し痛んだ遺体について微に入り細にわたって話した。

ある夫婦は子どもの自死があまりにも悲しく、少しずつその子の遺骨を食べてしまったという。

このような話を同様の経験がない人が聞くと非常に驚き、専門的なケアやカウンセリングが必要だと思ってしまうかもしれない。

しかしながらSHGでは、みんながその話に耳を傾け、非常に大きな悲しみの前には当然の反応であると受け入れるのである。  

「悲しみもまた私たちのもの」

サポートグループでは専門職はしばしば遺族に彼らの心で何が起こっているのか、そして悲嘆からどうやって回復すればいいのかを説明する。

悲嘆の性格や悲嘆に関連して生じうる心身の不調、そして悲嘆回復段階説等の心理学理論についても詳しく説明する。

専門職は、このような態度によって自分たちのほうが遺族よりも悲嘆についてよく知っていると伝えているのである。

死別ケアの専門職は癌の専門医が癌を扱うように悲嘆を扱う。そしてその専門医が癌を患者の身体から除去するように、遺族の心のなかから悲嘆を除こうとする。

それに対してSHGのメンバーは「悲しみは私たちのものであり、他人に処理してもらうものではない」と主張する。

彼らは死別の悲しみについて、それを体験したことがない人よりもよく知っているといい、遺族こそがもっとも悲しみについて語る資格があるのだという。

彼らは専門職が彼らの悲しみを「病い」として扱うことを欲しないし、許しもしない。

「私たちの悲しみは、私の身体と同じように私たちのもの」と公言する。

リーダーたちは日本の古語においては「かなしむ」とは「愛しい」ことであり「悲しい」ことであった事実を好んで引用する。

伝統的な日本の感性では「悲しみ」と「愛」は分離できないものであった。

彼らは愛するゆえに悲しむのである。病的だから悲しむのではない(Oka, 2011)。

これを「経験的知識」と呼んでもいいだろう。Borkman(1976)は言う。

経験的知識とはものごとを直接に経験することによって得られる真実であり、他人から与えられた情報をもとに推察したり考え込んだりして得る真実ではない。. . .

「経験的知識」という言葉には、状況に直接的にかかわっていたことから得られる洞察こそが真実であるという強い確信が含まれている。

なぜなら人は現象のただ中にあって得た知識こそ有効であり、信じるに足るものだと信じるからである。(pp. 446-447)

 コミュニティ

SHGとサポートグループのもう一つの違いは、サポートグループが一時的な集団的な話し合いであるのに対して、SHGはミーティングの外でも交流ができる一種の継続的なコミュニティとして機能していることである。

遺族にとって自由に話せるコミュニティは重要である。なぜなら彼らはもともとのコミュニティでは非常に孤立していることが多いからである(Feigelman, Gorman & Jordan, 2009)。

Cerelら(2008)は家族の自死が、その家族と周囲の社会的ネットワークとのコミュニケーションを歪めてしまう3つの可能性について述べている。

すなわち社会的に非難されることによって、また自死の理由が秘密にされることによって、遺族自身が自ら孤立してしまうことによって、それは生じるのである。

SHGが時間の制限にとらわれないネットワークと、ミーティングと日常生活とに連続性をもたせていることで、遺族のコミュニティとして機能していることを以下に示したい。

日常的なサポートと仲間の支え

ヒューマンサービスを専門職的、非専門職的に分けるとすれば、専門職は時間的に制限があり、SHGを含む非専門職的なものは時間の制限に左右されない (Gartner & Riessman, 1977, pp. 110-111)。

つまり専門職主導のサポートグループは月1回か隔月の2-3時間のグループセッションにおいて支援がなされるのである。

専門職やボランティアは、グループの参加者にプライベートな電話番号は教えないのが通例である。

またグループセッションの外では遺族とはあまり話そうとしない。

JordanとNeimeyer (2003)は、悲嘆カウンセリングが有効ではない一つの理由として、援助に使われる時間が限られていることがあるのではないかと述べている。

つまり「何回のセッションがあるかという量と、いつそれが行われるかというタイミングが、単に貧弱すぎて測定できるほどの効果が現れないのかもしれない」(p. 773-774) という。

この支援に限られた時間しか使われないということは、SHGのリーダーがよく指摘する専門職主導のサポートグループの限界の一つである。

彼らは言う。「1ヶ月か2ヶ月ごとに数時間、支援して、なんとかなるものなのか?」

リーダーによっては自分のプライベートな電話番号をメンバーに公開し、24時間いつでも遺族を援助できる準備をしている。

ただリーダーだけが援助する役割を担っているのではない。メンバー一人ひとりが助けあっているのである。

専門職主導のサポートグループは、グループの参加者どうしがメールのアドレスや電話番号を交換したりすることを勧めないことが多い。

それに対してSHGは人々が友達になり、仲間になる場所としてある。

FeigelmanとFeigelman (2011)は、自死遺族「本人の会」の様子を以下のように書いているが、それは岡が日本の遺族から聞いたことと一致する。

なんども繰り返し私たちが聞いたことは、遺族にとって新しい友情は自分たちが楽になるためにはとても重要だったというのである。

家族が自死したあと、人とのつながりが少なくなってしまったと彼らは感じている。

というのも、親しい他の家族や友人が亡くなった人について厳しいことを言い、亡くなる原因の一部になったのではと非難めいたことを言うからである。

また遺族の喪失感に気づかなかったり、遺族を避けたりする行動は、遺族の気持ちを傷つける。

(それに対して)自死によって、あるいは他の原因による突然の死によって別離を体験した人は、思いやりを示すのに何を言い、支えるにはどう振るまえば良いのかを知っているのである。(p. 182)

SHGのミーティングに参加した人たちは、ミーティングの前でも後でも、ミーティングの外でも互いに支え合うのであって、それがエンパワメントにつながるのである。

分かちあいの場と日常の場の連続性

時間の制限という点でサポートグループとSHGでは集まりの形が違ってくる。

サポートグループでは、専門職もボランティアも多忙なスケジュールに縛られている。

ミーティングは時間通りに始まり、終わる。

サポートグループに参加したことがある遺族の会のリーダーは、以下のような体験をしたという。

会場に行くと、始まる時間前だというので沈黙のなかで独り待たなければならなかった。

そして集まりでは、ある人が涙ながらに体験を語っていたが、スタッフが突然「申し訳ありませんが、もう終わりの時間になりました」と言うのでびっくりした、という。

サポートグループは通常、混み合っている精神保健関連の建物や公的施設を利用して開かれているので、時間通り終わらなければいけない。

ミーティングが終わると、スタッフは自分の仕事に戻り、遺族は一人残されることになる。

都合の悪いことには、参加した遺族はミーティングの外では互いに話すことは遠慮するように言われることがしばしばあるのである。

それに対してSHGでは時間の縛りがない。

専門職は別の仕事をかかえ、ボランティアはそれぞれの私的な生活のなかに別の役割があるが、遺族はいつでも遺族である。

その結果、SHGの集まりは長く続くことが多い。

ある会を例として取り上げてみよう。

そこでは例会開始1時間前かそれ以前に主なメンバーは会場にいて他のメンバーや新しく来る人を待ち、来れば応対する。

ミーティングが始まれば、まずは参加者が一人ずつ全体に簡単な自己紹介をする。

そのあと、グループは亡くなった人との関係によって小さなグループに分かれる。

たとえば、子どもを亡くした人、親を亡くした人、配偶者を亡くした人というように。

もっとも深いわかちあいは、この小さな同質性の強いグループで行われるが、因みにJordanとNeimeyer (2003) によれば、このグループの同質性の確保は専門職主導のグループでは難しく、専門職主導のグループにはあまり効果がないという一つの理由になっている可能性がある。

その小グループが終わったあとは全員が再び一つに集まり、こんどはお茶とお菓子が出て自由におしゃべりをする。

このプロセスをリーダーたちは「クールダウン」と呼ぶ。

この時間に、内心の深い感情を吐露する非日常的な場面から、社交を楽しむ日常的な場面へと移行するからである。

そのあとミーティングは「お開き」になるが、参加者はそのあとの喫茶店や居酒屋などの気楽な集まりに誘われる。

そこで何時間も自由に話す。

時には食べたり飲んだりしたあと、カラオケに行き、深夜まで楽しく歌うこともある。

ある自死遺族は自分たちのSHGとサポートグループと比べて次のように言う。

「明るくて元気だね」と当事者以外の人から言われるとムカつきます。

今、こうやって元気でも、「えっ何が分かるのよ」って感じになります。

ところが当事者に「いつも元気ね」って言われると「そうよそうよ」と言える。

それは、そこに悲しみがあるって分かるからです。

だから笑うこともできる。

大きな声で笑いあっても許せるところがあるんですよね。

だから分かち合い(SHG)の中は笑うこともあります。. . .

(一方、)私自身が分かち合いたくてボランティアの会(サポートグループ)に行ったときですが、誰も笑わないんですよ。

お通夜のようなんです。

それが非常に苦しかった時があります。

ボランティアの会でね、お通夜のように迎えてくれるんですよ。

静かな感じで、黒っぽい服なんか着てね。誰も話もされない。

自分で悲しくない時もあるの。遺族でも涙がでない時もあるのよ。遺族でも、その日によって。

そうすると、なんかここで泣かなきゃいけないんじゃないかなと思うの。無理に悲しい遺族を演じている自分がいたりしてね。(自死遺族ケア団体全国ネット, 2009, p. 69)

SHGは治療グループではなく、コミュニティだからこそ遺族はそこで笑うこともできる。

そこでは非常に深い感情までわかちあう非日常的なわかちあいの場と、飲み屋で飲み、カラオケで歌うという日常的な場の連続性が保たれているのである。

 アドボカシーとエンパワメント

SHGとサポートグループの3つめの差違としては、サポートグループでは、支援する専門職は自らの専門にかかわらない問題についてはあまり取り上げないということである。

自死遺族の場合は、専門職主導のサポートグループはもっぱら遺族が直面する心理的なあるいは対人関係的な問題を扱う。

しかし自死遺族はさまざまな経済的、社会的、法的問題に悩まされている(田中, 2009)。

SHGは遺族がかかえるどんな問題にも取り組もうとする。

遺族を傷つきやすい弱い存在としてではなく、社会的に不利な立場に置かれた人として理解し、SHGは遺族の社会的権利の拡大のため努力し行動を起こしていく。

スティグマとの闘い

日本では自死は「道徳的な行為」と考えられてきたことがあったが(Young, 2002)、Leenaarsら(2002)が指摘したように、日本には自死に対するスティグマがあることは事実であり、「自死が不幸にも起きたとき、日本人は何事も起こらなかったかのように行動する。. . . 遺族は自死を家族の恥だと思い、放っておかれることを望み、外からの支援を受けようとはしない」(p. 195)と言われてきた。

このような状況にあって、全国自死遺族連絡会は2010年6月から、自死遺族のスティグマや差別に対抗するための運動(具体的には差別撤廃のための法制度の確立を求める署名運動や啓発活動)を展開している(全国自死遺族連絡会, 2011)。

全国自死遺族連絡会のホームページにはスティグマのために苦しい生活を強いられている遺族の例が紹介されている。

それによると、まず経済的問題である。

たとえば、ある女性は賃貸アパートで自死したが、そのアパートの所有者から損害賠償金の請求が家族に届く。

誰も自死者が出た部屋を借りたいとは思わないだろうと所有者はいうのである。

賠償金はアパートの改築費用と家賃補償、神道式のお祓い料まで含まれていた(Buerk, 2011; 平舘, 2010; Ryall, 2010)。

さらに遺族は葬儀の際に頼らなければいけない宗教者にも苦しめられた。

宗教者は自死を罪と考えているからであった。

ある遺族は「自死で亡くなった魂は地獄に行く」と言われたという。

極端な場合は、戒名に自死を意味する文字を入れられた。

また遺族は死後さまざまの手続きを行うときに苦しんでいる。

たとえば遺族は遺体を初めて見つけた者になることが多いが、そのときは警察の前で何度も発見したときの状況を説明しなければならない。

それは遺族にとって非常に苦痛な体験となる。

首を吊った父親なんとか助けようとして遺体を動かしたばかりに警察からひどく叱責された人もいる。

要は、遺族はいろんな体験をするのだが、そのたびに警察から見下げられているという屈辱感を味わうのである。

遺族は警察だけではなく、遺族に対して強い偏見をもつ(亡くなった子どもの)学校の教師や、勤め先の上司などとの間で同様の経験をしている。

上記の差別反対運動に加えて、自死遺族「本人の会」のリーダーたちは通常「自殺」と呼ばずに「自死」と呼ぶ。

「自殺」という言葉が遺族にはあまりに厳しいというだけではなく、「自死」と言い換えることによって人々の意識を変えようということだろう。

「自死」も「通常の死」として差別なく受けられることを遺族は願っているのである。

法的問題解決への支援

自死遺族は自死の原因になったことをめぐって法的に争わなければいけないことがある。

たとえば自死が不動産の価値を下げたといって補償金を請求したアパートの所有者について上記で述べたが、その件について法廷で争うことに決めた遺族がいる。

あるいは、いじめが自死のきっかけになったという遺族は、子どもたちの間でのいじめを防げなかったということで学校を訴えている。

ある女性は、夫の強いられた過労が自死を招いたのだと夫が勤務していた会社を告訴している(Kawanishi, 2008を参照)。

しかしながら自死遺族が法的な手段に訴えることは容易なことではない。

なぜなら遺族は多くの場合、家族の自死によって経済的に損失を受けていて、さらに訴訟費用を負担することが難しいからである。

また日本では問題解決のために裁判を利用することは比較的希であり難しい。

小都市に住んでいる場合は、どうやって信頼できる弁護士を見つけるかも大きな問題である。

なぜなら弁護士にとっては小都市や郡部では大きな企業や学校は重要な顧客であり、それらの顧客層を相手に裁判を起こすような孤立した小さな家族を助けようとする人は少ないのである。

専門職主導のサポートグループは、このような社会的、法的問題にはほとんど助けにならない。

なぜなら彼らの役割は、法的なあるいは心理治療とは関係のない支援につなぐことよりも「心理的な治療」に限定されてしまっているからである。

ここまで専門職主導のサポートグループと当事者主導のSHGの違いについて述べてきた。

これまでは、この二つのグループの違いを曖昧にしたまま専門職の支援が行われてきたと言えるだろう。

そのため「SHGへの支援」として、結果としてはサポートグループを育成することが多かったと思われる。

次の問題は、このようにサポートグループとSHGとをはっきりと区別した場合、専門職の支援のありかたも代わってくるはずであるが、果たしてどのように変わるのか、ということである。

それを見るために次章では新しい専門職のタイプ(セルフヘルプ・サポーター)について論じたい。(以下、略)

 参考文献(上記に引用したもののみ)

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Copyright: Tomofumi Oka

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