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万有在神論の覚え書き

ライプニッツと批判前期のカント

ククザーヌスに代表されるキリスト教的プラトニズムの伝統の中で、ライプニッツが思索していたことを示すテキストはたくさんある。たとえば、 

「アカデメイア派の人々は物質的事象が、我々の外にあるかどうかを疑った。このことは、<物質的事象と言うものは表象の外においては無であって、意識を備えた実体の表象の同意を経て初めて事象性を得る>と言えば、合理的に説明が付く。この同意は、これらの実体の中にあらかじめ立てられた予定調和による。なぜなら、各々の単純な実体は同一の宇宙の鏡であって、宇宙そのものと同様に永続的であり恒常である。......各々の単純な実体は宇宙の似姿であるが、各々の理性的精神は、その上に更に神の似姿であって、単に経験的な、理性のない精神のように、事実を知り、事実の実験的連関を知るばかりでなく、永久真理の必然性をも知り、事実の理由をも理解し、神の建築術を模倣する」(G III 622−624)

 ここでは、人間は「宇宙の生きた鏡」であるだけでなく、さらに、「神の似姿」であり、叡知的世界に与るものである、という基本的な思想が語られている。多数のモナドの集合体としての宇宙は、スピノザの唯一実体とは異なり、神そのものとは区別され、理性的精神のみが「神の似姿」とされている点に注意。 

ライプニッツ・ヴォルフの合理主義とカントとの関係については、批判前期の諸著作
を検討すると面白い。
「形而上学的認識の第一原理」(1755)
「神の存在証明の唯一の可能な証明根拠」(1763)
「感覚可能な世界と叡知的世界との形式と原理」(1770)など。

1755年の就職論文では、根拠律の問題が採り上げられ、認識根拠と存在根拠との峻別の立場から、形式論理的なトートロジーと実質的な因果関係が区別される。あらゆる真なる判断を分析判断へ、偽なる判断を矛盾律へと還元していく思考法が批判されるが、これは、のちに分析判断と総合判断の区別として純粋理性批判に受け継がれる。

1763年の論文は、純粋理性批判の先験的弁証論を部分的に先取している。ただし、批判哲学の時代と違って、すべての議論を退けているわけではない。
ここでは、カントは存在論的証明と宇宙論的証明を、それぞれ二つづつ提示して、その中で、3つを否定しているが、「帰結としての物の内的可能性から、根拠としての神の存在に至る証明」を唯一可能なものとして受け入れている。 

1770年の論文は、純粋理性批判との対照が特に重要である。この著作で既に、時間空間を「何かが我々の感官の対象となるための主観的条件」とみる見地が導入されている。これに、1765年に公刊されたライプニッツの「人間悟性新論」の影響をみるカント学者は多い。(カッシーラーなど)
しかしながら、この論文でのカントは、感覚可能な世界と叡知的世界の両方に対して、アプリオリな認識の可能性を認め、「万物を神のうちに見る」マールブランシュの万有在神論の立場とそう遠く隔たっていない形而上学を承認している。