ILOフォーラム「ディーセント・ワークとインフォーマル経済」2002.8.30
<コメントと報告>
※報告の際の通訳用レジメより

アジアにおける都市インフォーマル経済の可能性と問題、そして日本に視点を移して

下川雅嗣(上智大学国際関係研究所)


1)リム氏報告及び「ディーセント・ワークとインフォーマル経済に関する決議」に対するコメント
 1-1) インフォーマルセクター及びインフォーマル経済の用語について
 1-2) インフォーマル(セクター)企業のポジティブな点の指摘
 1-3)具体的に使用者団体、労働組合の役割、政府の役割の指摘
 1-4)協同組合の可能性
2)アジアにおける都市インフォーマル経済の可能性と問題点
 2-1)インフォーマル経済のフォーマル化(オータナティブな経済への可能性)
 2-2)都市インフォーマルセクター(小規模事業経済)の見方についての経済学的議論
 2-3)インフォーマルセクター事業の自立的発展の障害
 2-4)アジアでの貧困者自身による上記3つの障害を克服する試み:People’s Process
3)日本のコンテキストにおいて
 3-1)現状
 3-2)日本にある萌芽的事例
 3-3)韓国の野宿者対策における試み
4)おわりに
※文章中の図や写真をまだアップロードしていません。近日中に行います。

1)リム氏報告及び「ディーセント・ワークとインフォーマル経済に関する決議」に対するコメント

1-1) インフォーマルセクター及びインフォーマル経済の用語について

  インフォーマルセクターという言葉は、1970年代にILOを中心に使われ始めた。しかし定義については、使う人によって様々である。一般的には、途上国の都市において近代的な産業部門には属さず、個人で独立して事業を営んだり、家族経営などの小規模事業家であったり、そこでの就業者であったりする人々を含む経済部門と考えられていた。つまり、経済学的には途上国におけるスモール・ビジネス・セクターと言ってもさほど違わないような用語である。なお、1991年のILOレポートでもこのラインで使われている。(経済学的に厳密に定義しようとすれば、生産要素の価格(賃金や資本収益)が市場で決まらないような部門と考えればすっきりすると思われる。:つまり労働と資本が分離できない部門である。)

 これに対して、今回のILOの決議ではインフォーマル経済という用語を用いている。これによって、より広く、例えばフォーマルセクター(近代産業部門)企業であっても、労働法の枠外で働かされている雇用者、先進国における非正規就労者なども含めて考えることができるようになり、ディーセントワークの欠如の観点をクローズアップするには良い言葉である。ILOの「すべての人々へのディーセント・ワーク」という目標の心意気が現れていると思う。ただし、法の枠内か枠外かということに関心が集中している傾向には問題を感じる。すなわち、インフォーマルセクター内の事業の自立的発展の可能性、及びそのための既存の経済構造の変革の必要性が見えにくくなるのではないかと思われる。これについては後述する。

1-2) インフォーマル(セクター)企業のポジティブな点の指摘

 リム氏の報告では、インフォーマルセクター企業のポジティブな面も指摘されたが、ディセントワークの欠如と言う観点からはそのネガティブな側面の深刻さの方が大きいと報告があった。それはそのとおりだが、私の観点は、そのポジティブさがなぜ生かせないのかを考えるのが重要ではないかということである。これについても後述する。

1-3)具体的に使用者団体、労働組合の役割、政府の役割の指摘

 リム氏の報告ではこの内容には詳しく触れなかったが、決議の中では具体的に記述されている。これらは具体的な指針となるのではないか。後でタイの事例紹介でも触れるが、これら三者の協力、特に使用者団体、政府の協力は、インフォーマル事業の自立的発展には非常に重要である。

1-4)協同組合の可能性

 今回のILO総会の別な大きなトピックスとして協同組合の振興が取り上げられている。またインフォーマル経済に関する決議でもこの点について若干触れられている。協同組合の振興に関する総会の文書では、協同組合はインフォーマル経済の保護されていない労働者を経済生活の主流に統合する手段として重要であると指摘されている。これは非常に重要な指摘であると同時に、日本でも大きな意味のあることであると考える。これについても後述する。

2)アジアにおける都市インフォーマル経済の可能性と問題点

 私自身はアジアの都市インフォーマルセクターの研究を専門としている。よって以下、アジアにおける都市インフォーマル経済の可能性と問題点について、ところどころで基調報告に触れながら話す。

2-1)インフォーマル経済のフォーマル化(オータナティブな経済への可能性)

 先に述べたように、基調報告及び今回の決議では、インフォーマル経済という言葉を使うことによって、法制度の枠内か枠外かという関心が中心となり、短期的には労働法を整備しそれを遵守させることが重要だ、というような話になっている。確かに、このことはフォーマルセクター企業に労働基準以下で雇われている雇用労働者や児童労働に対しては必要かつ有効であろう。しかし、この方向性だけでは最初に述べたようなインフォーマルセクターにおける自営業者や小規模事業家の自立的発展を通してのフォーマル化の道が後景に退けられてしまうように思われる。

図1参照(インフォーマル経済のフォーマル化)

 インフォーマル経済の人々には、先に述べたように、劣悪な条件で働かされているインフォーマル雇用者やインフォーマルセクターの事業家(例えば、自営業者や家族事業家、小規模事業家)など多種多様な人々がいる。そして確かに、彼らの多くには、ディーセントワークが欠如しているという大きな問題がある。これに対して、今回の決議はどちらかと言うとこのインフォーマル経済内にいる人々を『既存のフォーマル経済』に組み入れることによって、フォーマル化しディーセントワークを実現することにメインを置いているように感じられる。しかしながら、インフォーマル経済内にいる人々(特に、自営業者や小規模事業家らインフォーマルセクター企業)を『既存のフォーマル経済』に移すことだけを考えていくのではなく、彼らの自立的発展を促してオータナティブな経済へフォーマル化していく可能性を考えていく必要があるのではないか。そのオータナティブな経済とは、peoples based economy(人々を基盤とした経済:またはコミュニティーを基盤とした経済)であり、その鍵として共同性(協同組合的な方向性)があると思われる。

 そのためには、インフォーマル経済を法の中にあるか否かの観点で分類することを強調するだけでなく、スモール・ビジネス・セクター的な見方を維持することも必要である。以下その意味を込めてインフォーマルセクターという言葉でそれを表してみる。

2-2)都市インフォーマルセクター(小規模事業経済)の見方についての経済学的議論

 さて、私の専門であるアジアのインフォーマルセクターの事例の中から、オータナティブな経済への可能性の事例を紹介する前に、考えを整理するのに役立つと思われるので、若干経済学(経済発展論)の枠組みの中でのインフォーマルセクターの見方について紹介しておく。

図2参照(インフォーマルセクターの見方:可能性と現実)

 経済学では、インフォーマルセクターは自立的発展の可能性を持ち、経済全体の発展に役割を持つと一般に言われる。ILOは以前から、インフォーマルセクターへの援助は、雇用創出において重要であるという立場を取っていたと思うが、経済学的に考えると理論上は、雇用創出にとどまらず、経済発展に対する直接的効果ももたらすと考えられる。しかし、実証的研究、つまり現実においては、インフォーマルセクターの発展はフォーマルセクターの発展に依存しており、自立的発展の可能性はないという結論が多い。そうすると、理論的には自立的発展、そして経済発展への貢献の可能性があり、現実には発展していないということは、現実としてその発展を妨げる障害があると考えるのが自然であろう。そこで、次にその障害について考えてみる。

2-3)インフォーマルセクター事業の自立的発展の障害

 インフォーマルセクター内の事業の自立的発展の障害としては、以下の3段階のアクセスの困難性が主に挙げられるであろう。これは3種類であると同時に、一般的には@→A→Bの流れがあると思われる。

@土地、場所へのアクセス(Land, Place):インフォーマルセクターの人々は主にスラムやスクオッター地区(不法占拠地区)に住んでいる。そしてその家は、住居だけでなくそこが生産活動の場であることも多い。これらが、強制排除等の不安に常時脅かされている場合、最初の段階での自立的発展への大きな妨げとなる。さらに、例えば輪タク引きなどのインフォーマル交通手段や屋台、行商を事業としている場合、しばしば、都市部からの排除が行われたり、事業の場所へのアクセスが大きく制限されることがある(例えば、今のインドネシアのジャカルタなど)。

Aクレジットへのアクセス(Credit):アジアのスラムコミュニティー等では70年代以降、様々な取組みによって、@については少しずつ貧困者自身の力による改善が行われてきたが、それですぐに自立的発展が可能になるわけではない。事業を行うため、また事業を発展させるためには、何らかの資本が必要となる場合が多いが、貧困者の場合は銀行等フォーマルな金融機関などへのアクセスは非常に困難で、高利貸しなどから借りられるだけである。この困難を取り除かない限り、自立的発展は不可能である。それに対して、後で述べるが、アジアでは80年代後半以降、急速に貧困者コミュニティー内で貯蓄信用グループやグラミンバンク(バングラディッシュのユヌス教授による、貧困農民が5人一組になって相互に連帯責任をとったり、あるいは相互に助け合ったりするしくみで成功をおさめた小規模融資機関)をパイオニアとするマイクロクレジットなどの広まりによって、クレジットへのアクセスの改善は徐々に実現されてきている。

Bマーケットへのアクセス (Market):確かにクレジットへアクセスできるようになれば、インフォーマルセクターへの事業は開始しやすくなり、何らかの仕事を自分達で作れるようになるが、だからといって、それが直ちに彼らの所得レベルの改善には繋がらないのが現実である。そのもっとも大きな原因は、マーケットへのアクセスに大きな困難が伴うからである。何か作ったとしても、それを売るための市場へのアクセス、また原材料を購入するための市場へのアクセスが限られている。一般的には、何かを作った場合、その地域に来る一人の仲介業者だけが彼らにとって売る相手であり、そうするとその仲介業者に足元を見られ買い叩かれるわけである。またその仲介業者から原材料を買わなければならない場合もある。そうすると当然、仲介業者は彼らが死なないギリギリの価格を設定してくるだろう。そしてこのアクセスの改善は、先のAに比べて、非常に困難である。なぜなら、彼らの市場への新規参入は、既得権益を持っている力のある事業者にとって、大きな脅威となるために、既得権益者の行動は、新たな参入を妨げる方向に働くからである。よって、このアクセスの困難を如何に克服していくか、またそれを支援できるかが鍵となる。これは今のグローバル化のプロセスの中で市場の自由化の方向性の偏りを是正する試みでもある。つまり、現在のグローバリゼーションの中で強調されている市場の自由化は、普通多国籍企業、海外企業(主に先進国の)が、自由に途上国等の市場に参入できるような方向性での自由化であり、実は非常に偏っている。これに対して、今課題にすべきは貧困者が自由に金融市場、財市場、国際市場にアクセスを容易にする方向性への試みなのである。

2-4)アジアでの貧困者自身による上記3つの障害を克服する試み:People’s Process

 日本ではあまり知られていないが、アジアでは、これら3つの障害を克服するために、すでに、貧困者自身による主体的、創造的、共同体的な取組みが数多くなされており、そのうちの幾つかは実際に幅広い成功を収めている。その中の各国に共通的な動きについて、まず紹介する。

<共通に成果を挙げている取組み>

@コミュニティー・オーガニゼーション

 これは、上記障害の主に@の克服に対応する。スラム地域やスクオッター地域を中心に、コミュニティーを組織することによって、強制排除、生産・事業手段の強制没収と戦い、さらにはそのコミュニティーをベースに以下のような取組みへと発展するのである。70年代以降急速に広まり、コミュニティーが組織化され、またそれらのネットワークが出来ることによって、貧困者自身の発言力が大きくなってきた。

A貯蓄グループ(saving group)、信用貯蓄組合(credit union)、マイクロクレジット(micro credit)

B共同(協同組合的)でのマーケットへのアクセス

<先進的な具体例の紹介>

 先進的な事例として、タイ政府機関CODICommunity Organizations Development Institute:コミュニティー組織開発機関)の取組みを紹介する。

 CODI事務局長のスムスクさんは、コミュニティーが発展していくことが、本当の発展だというポリシーの下で、3つの障害を克服することを契機にコミュニティーの発展を目指している。CODIは、もともとタイのNHANational Housing Authority:国家住宅省)にUCDO(Urban Community Development Office:都市コミュニティー開発事務局)という下部機関があったが、それが都市部だけでなく農村部の貧困者コミュニティーと一緒に歩んでいくことが重要ということで、農村部の同じような役割を担っている機関と合併したものである。またこの機関は理事会の構成に特徴があって政府代表、財界関係者、スラムコミュニティーメンバー代表、学識経験者からなっている。

 ここでは、CODIのやっていることのうち、これまでの話のコンテキストに沿った部分を紹介する。

貯蓄グループ(場合によってはクレジットユニオン)のオーガナイズと回転資金の融資を行う。例えば、5年前バンコクには1200程のスラムコミュニティーがあり、そのうち800程には、何らかの貯蓄グループが存在した。その貯蓄グループの支援、さらには無いところに貯蓄グループの組織をプロモートした。また、スラムメンバーだけでの貯蓄グループの場合、メンバーの貯蓄額より、借入ニーズの方が大きい状況がしばしばあり、そのような場合には、貯蓄グループ延いてはスラムコミュニティーそのものが不安定化することに気づき、CODIはそのスラムコミュニティーの貯蓄グループに対して、回転資金を融資している(Aクレジットへのアクセス支援)。

コミュニティー企業(Community Enterprises)の促進とそのネットワーク作り、及び、コミュニティー企業やそれらのネットワークを通してのマーケット(生産財市場と原材料購入市場)へのアクセスの支援(海外市場に対しても)を行っている(Bのマーケットへのアクセス支援)。この際、CODIの理事会に、特に財界関係者が存在していることは大きなメリットになっている。またILOがこれを手伝って、ILOがヨーロッパで開催する展示会にスラムコミュニティー企業の生産物を出品し、新たな販路を切り開くようなことも行われていると聞いている。なお、このようなマーケットへのアクセス改善の試みは他にも各地に見られる。例えば、タイのLemon Farm(Sophon Suphapong)、インドのEMAEquitable Marketing Association)他。しかし、いずれにおいてもこのマーケットへのアクセスの障害を取り除くためには、政府関係者、使用者団体関係者が協力しないと難しいようである。

<特徴>

  最後にアジアで成功している取組みの共通の特徴をまとめると以下の3つがあげられるだろう。

 最後の水平交流については、一言だけ説明しておく。私たち(日本人)は、一般に途上国の貧困者に対して、何かを教えたり、やらせたり、プロジェクトを持っていくと言ったような関わりだけを考えがちである。しかし、実はこれでは、変化はその地域だけにとどまり、自発的な広がりをもたらさない傾向にある。それに対して、水平交流では、外部者(海外の援助団体や企業、国内行政等)が何かを教えたり、やらせたり、プロジェクトを持ってくるのではなく、住民自身のやっていることが、住民どうしの経験交流によって自発的に広がっていく。そしてその経験交流の広がりは、単に一国内にとどまることなく、例えば、カンボジアとタイ、タイとインド、インドと南アフリカ、ジンバブエなどなど、貧困者自身の国際的グローバルなネットワーク構築に及びつつある。

 これらの特徴をまとめて言うならば、欧米的、先進国的な枠組みにこだわるのではなくて、彼らのやっていることを育てて、オータナティブな経済、オータナティブな発展を模索してよいのではないか、と言うことである。そしてその際の大事な点は共同性を鍵とした、民衆の歩み(peoples process)なのである。なおこのとき、協同組合的な方法は役に立つかもしれない。

3)日本のコンテキストにおいて

 ここでは、特に野宿者問題に触れてみたい。現在、政府発表で約2万5千人程の野宿者がいる(支援団体等は4万くらいと言っている)。それに対して、国としてもなんとか取り組まねばということで、先月(7月)ホームレス自立支援特別措置法が成立した。野宿者の立場から考えると公園適正化のために排除圧力が強まるのではという恐れも強いが、これが本当に自立支援のための法律だとするならば、何が自立で、どうやって自立を支援するのかが重要になってくる。

3-1)現状

 ここで、野宿者の現状を考えてみると、最近の野宿者のほとんどは失業した結果の野宿者であって、ほとんどの野宿者は労働意欲が高い(しかしながら、人間関係づくりが下手だったり、いろんな弱さを持っている場合も多い)。そして、彼らの多く(特に公園や河川敷に住んでいる人たち)は、怠けているわけではなく、アルミ缶回収、雑誌や古本集めと路上販売、屋台、引越しや建設現場の日雇い(契約)、ならびなどの仕事をしている。まさにアジアの都市インフォーマル経済がここに存在している。

 今のところ、行政の自立支援方策は、シェルターを建設し、そのシェルターに一ヶ月滞在する間に面接・相談を行い、働けるものは自立支援センターに移り、職安等を通してフォーマルな月給仕事を見つけ、センターに滞在しながらお金をためてアパートに移って自立する、一方、働けないものは、生活保護へというような決まったレールのみを考えているようである。そこには共同性及び主体性の尊重の意識はかなり欠落していると思われる。

 また、先行して行われている東京都の自立支援事業においても、当然のことながらなかなか仕事が見つからないし、仕事に就いたとしても長続きせずに、路上に戻ってくる人が非常に多くの割合でいる。しかしながら、先の図1と同じように考えられないか。その場合、インフォーマル経済の内にいる人々が野宿労働者たちである。つまり、その野宿者を既存のフォーマル経済に戻るという道だけではなくて、オータナティブな経済へとフォーマル化する可能性を探れないだろうか。

 実際のところ、公園や河川敷では、日本の社会ではかなり失われてしまった共同性、コミュニティー意識が芽生えている。それをつぶすことなく、つまり共同性を重視したオータナティブな経済の可能性をアジアの取組みのようなものから学んでいけないだろうか。そのためには、上記3つへのアクセスを政府や使用者団体、労働組合、NGO等が手伝うことが重要と考えられる。特に@の場所へのアクセス、つまり強制排除が行われないことや仕事の場が奪われないこと、及びBのマーケットへのアクセスは重要であろう。これらにおいて、具体的に労働協同組合的な模索は出来ないだろうか?

3-2)日本にある萌芽的事例

 日本の具体的事例であるが、ある公園に住みアルミ缶集めをしている野宿者が30人くらい集まり、2t以上集めることによって、個別回収業者に売りに行って安く買い叩かれるのではなく、回収業者を逆に公園に呼び、ある程度の値段で買い取らせることに成功している。これらが労働協同組合的に成長していく可能性はないのだろうか。そのプロセスを通して、彼ら自身が回収作業そのものもやっていけるようになるのではないか。そして行政の行うゴミ回収事業等を担っていくようになる可能性はないのだろうか。

 また、公園に住んでいる野宿者のあるグループがちらしを作って、庭の雑草取りや剪定、ペンキ塗り、簡単な大工作業、修理作業を請け負うというような事例が細々とある。そのようなものが労働協同組合的にもっと大々的にできるようにならないだろうか。

 雑誌・本集めと路上での販売、屋台(しかし、現状では大部分やくざにかなり仕切られている)。その仕切りを取り除いて、野宿者自身の労働協同組合的事業として実現していけないだろうか。

※これらには、場所とクレジットとマーケットへの支援が重要である。

※また共同性によって人間関係づくりの苦手さや個々人の弱さを補えるし、共同作業自体が楽しい労働である。

3-3)韓国の野宿者対策における試み

 最後に、韓国においては実際に上のような共同性を重視した野宿者対策が試みられていることを紹介して、夢物語でないことを示そうと思う。

 韓国では、もともと再開発のために強制撤去の対象となるような貧困層コミュニティーによる住民運動において協同組合型の取り組みの歴史があった。97年末の経済危機以降急速に野宿者が増加したが、それに対する行政の対策として、単に経済的自立の方策だけではなく、元野宿者たちが主体的に、所得向上、共同体精神の回復、地域社会との連帯を目的として、協同組合型自活生産共同体を設立するのをサポートするような試みも行われている。

 実際の事業例(計画中のものも含む)としては、創業型として、縫製業共同体、洗濯業共同体、清掃請負業共同体、建設業共同体などがある。さらに公共事業民間委託及び特別就労事業的要素を含めたものとして、家屋修理事業、飲食ゴミリサイクル事業などがある。

4)おわりに

アジアの都市インフォーマルセクターを見たときに、インフォーマル経済をただネガティブなものとだけ捉えずに、そこに、主体性、創造性、共同性を重視した、コミュニティーを基盤とした(community based な)、民衆の歩み(peoples process)によって、オータナティブな経済への可能性を模索していくことが重要である。そしてそれは、アジアの国々だけでなく日本においても、現在社会を覆っている閉塞感を打ち破るための鍵になるのではと思われる。