貧困者自身のスペース の拡大 & people's process(住民の歩みを基盤としたプロセス)の発展 & そのプロセスに対する外部者の役割(暫定的メモ)

※2003年2月27日〜3月7日のタイ訪問の日記から暫定的に抜粋したメモに過ぎません。

→CODI(Community Organization Development Institute)のスムスク、及び元タマサート大学で社会学を教えていたバントン教授のインタビューが中心です。


0)タイの状況:

・過去においてタイの都市貧困者コミュニティーは、まず強制撤去に抵抗することによって彼らの組織を強化したが、最近は、より、貯蓄・信用グループの強化、それらの連盟を作ったり、いろんな地域やいろんな問題に対応するための都市貧困者組織のネットワークをつくることによって、組織の強化を行っている。このような変化、また国内における変化しつつある政治的コンテキストにおいて、タイのコミュニティーsは今日、自分達の発展経路を自分達で創りだし、政府とパートナーシップを交渉し、また彼らの政治的、経済的状況を改善する道を歩んでいる。

1)CODI(Community Organization Development Institute)の長官Somsookとの会話より

《基本的考え方》

・政府の貧困者・貧困問題に対する従来のやり方を変え、社会構造の中に貧困者コミュニティーのスペースを作りたい(space for the community in social structure

<従来のスキーム>

政府→問題発見・認識→解決?策   

  ↑       ↑   

 専門家      専門家

(たまにPRA)    (たまにPLA

(※最近では、専門家だけではなく、貧困者自身に聞く。建前上貧困者を参加させようとすることもある。しかし、相簡単にこのスキーム自体を変えようとはしない。またNGO等もほとんどは、同じスキームで関わっている)

<これに対して新しいやり方>

è最初から具体的プランはない。まず人々(貧困者)自身に聞く。Community-led development program.(コミュニティー、またはコミュニティー・ネットワークミーティングを持つ)

è外部者はPlanは持ち込まないが、方向性(direction)とストラテジーは持っている:その方向性(目的)は、『如何にpeople’s processを強くするか』。

《実際のステップ》

@以下の説明、勧め、提案、ディスカッション

1)なぜ私たちはこんなことをやっているか。なぜ重要か(?People’s Processの重要性)

2)なぜ新たなやり方(New way)が必要か、重要か。

3)鍵となる行動は何か。èorganizing, mutual learning, meeting, sharing, networking…

A具体的可能性を示す(これは可能なんだ…)

Bどんな後ろ盾があるのか。誰がバックアップしてくれるか。どこにあなた方のバックアップがあるのか。。è「後ろ盾が存在しているよ」と伝え、人々が自分達のサポートがあることを知って、ようやくやる気に。。。

èあとは彼ら自身が動いていく。

 《外部者の姿勢》

・私(スムスク:すなわち外部者)は権威を必要としない。自分の立ち位置・役割はあなたがた(貧困者)のスペースを創ること。もし貧困が問題だとしたら、それはあなたがたの問題だ。(あなた方のスペースを潰している、そのような構造になっているのは私たちの問題だ、だから私たちにはあなた方のスペースが広がるようにする責務はある)

・人々(貧困者)は、自分達のコミュニティーの中に大きなエネルギーを持っている。もし彼らがスペースさえ持てば、あとは自分達で始めることができる。

Plat Formについて》

・貧困者のスペースを創り広げるためには、Plat Form(拠点となる場・スペース)作りが重要。

・何のためのプラットフォームか。

→水平的学びあい(horizontal learningmutual leaning):誰か専門家、外部者が教えるのではなく、コミュニティー内で、コミュニティー間で、地域間で学びあう。

→行政との交渉

・いろんな地域、レベル、領域のCommunal Space(共同参加の場)を作る。その際、外部者は常にどうやって変化を起こすかを考えていること、実際に変化を起こすことが重要。

area-based communal space(場所による共同参加の場)

一つのスラムのコミュニティー、近くのコミュニティーのネットワーク、province()レベルのコミュニティーのネットワーク、regional(州?)レベルのコミュニティーネットワーク。(さらには、国レベル、国を超えた国際的な貧困者のコミュニティーネットワークへ)

issue-based communal space(課題を基盤とした共同参加の場)

共通の課題(カネル沿い、線路沿い、下水問題、ゴミ問題、廃品回収をやっている。仕事に関して。。。)。またそれらの課題ごとのcommunal spaceのリンクも含めて。

※つまり、数限りなくプラットフォームの可能性は広がる。

※外部者としては、今どんなプラットフォームを促進しようとしているのかを常に意識しておくことが重要。

《危険性》

・上のように促進していくことは、危険性もある。特に、コミュニティーの歩むスピードはそんなに速くない可能性が往々にしてある(ただ、スピードが遅いと外部者から見て絶好のチャンスを逃す場合もある)。下手したら外部者のペースになり、people’s processではなくなる。èこの時の最低限の鍵は、誰が決定するかということ。出来る限り彼らの決定でないといけない。ときどきこれをきちんと評価する必要がある。èにもかかわらず、pushする必要はある。そして彼らのpossibility を増す必要(いろんなオータナティブを示す、情報を伝えていく、提示していく必要)はある。その際、次のこと(私たちの中にある政府)に注意する必要がある。

《どこにでも存在する政府》

・普通、人々(特に貧困者)は政府が嫌いだ。政府とは、定義上自分達をコントロールし、命令しようとするから。。そして、これまでの活動家たちは、その政府との闘いが中心。ただ、この政府(しまり他者をコントロールし、命令し、支配したい心の動き)は人々(住民組織)の中、NGOの中、一人一人の中にあることに注意を払うべき。つまり、政府や国際機関はもちろん、NGOなどの市民団体だけでなく、政府と闘っているグループの中にでさえ、その闘いのプロセスの中で、貧困者をコントロールしようする動きが出てくる。また貧困者のコミュニティーの中でも、あるリーダーが(また少数の人間)が他の人々をコントロールしようとする動きが出てくる。People’s Processを育てるためには、いろんなレベルに存在する政府と戦わなければ、どこかで行き詰まる。政府的な要素(Government element)はあなたの心の中にもある。。。それと闘わないとそれ以上進めない。。。

《過去の運動と今の流れの違い》

・過去タイでは、社会の不正を正すことを意図したり、階級闘争を意図したイデオロギーの基づいた政治運動がたくさんあった。しかし、それらは、力ずくだったり、コントロールすることによって、貧困者にトップダウン的に理念や理想を押し付けてきたので、すべて目的を達せずに失敗した。そのような運動では、大概の場合、人々の創造性とそのエネルギーは窒息してしまうからだ。だから、今私たちは、これを肝に銘じて、自分達の役割を、貧困者自身の中にあるエネルジックで、創造的なイニシアティブ(主体性)を発見し、それをサポートすること、またそのような動きを地域内、地域を越えた国内、または国を超えて繋げていくことだと考えている。

《上記のことに注意をしたうえでの今のところわかっている一番適当な介入の仕方》

・例えば、一つのコミュニティー、一つの地域のネットワークの歩みだけでは、10年かかるpeople’s processの発展を2年にスピードアップするためには、horizontal exchange(水平経験交流:別なコミュニティーでもっと先に進んでいるところ)が大きな効果を持つ。ただし、その場合にも行くか行かないか、経験交流後どうするかの決定は彼らがやる(これが重要)

《文化と制度を変えること》

※これまでいろんな動き、運動が生まれては消えていった。その中で、持続的なのは、貧困者(人々)自身に根をもったプロセスだけ。つまり、この動き、プロセス、変化の根がどこにあるかが重要(ègrass roots process)。木がしっかり根を地に張っていたら、上を切っても死なずに、また生える。そんなculture structureを作る事が重要。

《上と関連して、なぜ一般にNGOの活動は広がっていかないのか》

貧困者自身のスペースを提供することの重要性をあまり認識せずに、自分達が何かしたがっている。どこもあるレベルまで来たらそれ以上は進まなくなる。

・理由は以下の通り。

→多くのNGOは途中から自分達の組織維持(生存)のための働きになっていく。

→何かの問題を解決したい。なにかして上げれることがhappyで、それで満足。

→構造的な問題はあまりにも複雑で大きいので、そこには手をつけようとしない。

・ではそうならないためには(→日本の野宿者運動のコンテキストにもぴったり)

è2つのアプローチがある。

@常に視野を広く。いろんな団体・組織を見るべき。そして、それらを繋げていく、強めていくことが重要。実際的な方法として、1)すでに存在している、いろんなグループ、動きを見ながら、どこにもっと可能性のある貧困者自身のspaceがあるのかを探し続けること。2)既存の動きの中に、どこにスペースを広げる可能性、道があるのかを探す。(enlarge space in their own context、、、learning from existing group)

ANGO、支援者、市民等を見るのではなく、貧困者自身が実際に自分達のスペースをつくり、それを広げていっている新しい道を探す。探せば、貧困者(野宿者)自身がすでに自分たちの方法でやっている。。。つまり、直接に貧困者・コミュニティーを見る。下記の図参照。

政府、国際機関

仲介者、支援者、NGOè結局は官僚的、ブルジョア

貧困者、貧困者のコミュニティー

《日本のODA,JBIC,ADB,WBについて:スムスク日本にはがっかりしたと突然話始める》

JBIC,ADB,そして多くの日本人は、どんなデベロップメントかは考えるが、そのプロセスを考えようとしない。プロセスこそが重要ではないか。JBIC, ADBなどはわかっていない。その奥には何があるか。→人間を信じずに(彼らが判断できるということ)、テクノロジーを信じている。日本も元々はアジアの一員で、コミュニティー的なセンスを持っていたはず。目的志向型ではなくプロセスを大切にする(道のようなもの)センスを持っていたはず。だからアジアの中でそのようなセンスを持った唯一の先進国だったはず。WBなんてのは、欧米型なのだから仕方がないが、ADBは日本が一番多く出資しているし、JBICは日本のODAなのだから、アジア的cultureを共有するものとして、日本的な性格(コミュニティーを大切にするとか、プロセスを大切にするとか、心を大切にするとか。。。)を出せば良いのに、ただWBのやり方をまねようとしている。とういうかWBよりも酷い。本当だったら日本はもっとアジアに貢献できただろうに。。。もしかしたら、日本はアメリカなどより物質的かもしれない。。

è日本社会はすでにコミュニティー的センスをほとんど失ってしまい、欧米的目的志向型行動に毒されてしまっている。その結果が今の閉塞感なのだからそれを打ち破るためには、アジアの貧困者の動きからそれを学ぶ必要がある(by 下川)。

≪インドネシアの貧困者運動について≫

・インドネシアにおいて、貧困者自身のコミュニティー的運動はさほど育っていない。どちらかというとNGO(外部者)-driven styleによる、不正(injustice)への怒りが原動力の運動が強い。インドネシアは、長いこと抑圧的、封建的な社会だったので確かにそのような運動は必要だ。もし長い間、民衆が貧しくて、力を剥奪されていたならば、いつのまにかにそれを受け入れさせられて、それを変える気さえ失ってしまうのが世の常。そんな時に、自分たちの置かれた状況が外部から作られたもの、強いられたものであることを意識化しなおし、またそれと闘争する(confrontation)ことによってさらにその意識を深めていくことは、社会を変えようという気持ちを再び生じさせるためにはとても重要で、その方法は正しい(パウロ・フレイレもそう考えた)。でも貧困者(民衆)は、アジア的なもの、つまり本来的には、闘争的ではなく平和的に生きたいという気持ちが強い。だからもうそろそろ、新しい方法を探す必要があるのではないか。社会を変えるための新しい方法を探すというのも別な種類の闘争(softer confrontation)だ。パワーを得て、そのパワーを何かのコントロールに使おうとする(empowerment)のは発展(develop)ではない。(エンパワーメントという言葉がはやっているが、パワーは最終的には腐る。以前、貯蓄グループの形成を通して、エンパワーメントを大事にしていたが、パワーを持って、何かを支配するようになると堕落していく)。So many developing understanding, so many ways.(例えば、よりよい友人を多く持つとか、お互いに学びあう、分かち合う関係をつくるとか。。。)

≪アカデミックパーソンの役割≫

・いままでは、大学の先生たちは何の役にも立たないと考えていたが、最近は大学の先生たちも巻き込みたいと考えている。コミュニティーネットワークに、コミュニティーの人々、リーダー、地方政府当局者、アカデミックパーソン、僧侶がすべて入っていくことが重要。なぜなら大学は人々をサポートする政治的影響力を持ちうる。よって大学の先生を入れるのは、ひとつのテクニック。しかし、大学の先生たちだけの集まりは何の意味もない(è上智のAGLOSのシンポジウムはまさにそうだなあ。by 下川)。

≪下川がPeople’s Processを研究テーマにすることについて≫

JBIC, ADB, WBにとっては貧困解消等のプロジェクトは、少なくとも建前上は大きな課題。日本はそれに大きな影響を持っている。しかしながら、これらのプロジェクトは、しばしば貧困者のスペースをかえって小さくするし、People’s Processはほとんど考えられていない。よって、タイによって実際に貧困者のスペースが創られ、拡大されている様子を伝え、その必要性をまとめ、people’s processが如何に進んでいくかをきちんと、日本社会(特に、JBIC, ADB, WB等。またはそこで働く可能性のある学生等)に、示していくならば意味がある。日本が変わるためには重要。(つまり、あなた(下川)のキャリアアップのためには協力するつもりはないし、その研究がタイの人々に積極的に役に立つとも思っていない。日本人がタイや第三世界のPeople’s Processを潰さないように意識変化をするためには役に立つでしょうということ。決してキャリアアップのための研究をやる人を紹介してくるなとも)

 

2)BANTON(元タマサート大学社会学部教授。タイの社会に影響力の強い知識人)との話

《研究について》

・貧困及び貧困者に関して、2種類の研究スタイルがある。一つは、伝統的なやつで、これは、研究者のための研究(純粋な知的好奇心ならまだしも、多くは自分のキャリアアップのためのもの。キャリアアップのために貧困者を利用していて、貧困者の利益にはならない)。2つ目は、貧困者の利益となる研究である。1st Priority は貧困者自身で、それは研究者にも利益(知的好奇心の満足、キャリアアップ)になる場合もある。1つ目の研究スタイルでは、貧困者は対象(object)であって主体(subject)ではない。ほとんどのアカデミックパーソン(学者、研究者、学生も含めて)は、1つ目のスタイルの研究を行う。つまり、学術機関は知識を独占している。本来、貧困(者)に関する研究は2つの目的を持っているはずなのに。。つまり、第一に、貧困者の発展に寄与すること、そして第二に知識そのもの(純粋に知的欲求に答えるもの)。私自身、最初は1つ目の研究スタイルだったが、途中で心を入れ替えて、研究はPeople’s Processが土台になるべきだし、その利益のための研究でなければ意味がないと考えるようになった。そのためには、貧困者自身がPeople’s Processを発展させる際に、直面している問題、その根を見出し、それを解決するための研究という姿勢に貫かれることが重要。そうしたらResearch Process People’s Processは本来結びつくもの。

・具体的に大事なこと:@研究は民衆を組織するための一つの道具となりうることを考えること。現場での研究は、研究者がグループの組織化の中でのアドバイサーとしての役割を担いながら、一緒に行われるべき。A研究の際には、民衆から学ぶことがまず重要。どうやって彼らは組織化するか等。またすでに組織化されたグループと接して、何か今の問題なのか。今後何をしたいのか、それを妨げているのはなにか、それを進めるためのリソースは何か等が研究課題になりうる。これを住民に聞きながら一緒に考える。

《社会を変えるために》

・すべての基本は、コミュニティー・オーガナイズが出発点だということ。そして、国の政策や社会構造を変えるために闘うためには、それらのネットワークを拡大していき、徐々に構造(政策、法律等)に近づいていくことが重要。Forum of the PoorAssembly of the Poorはその試み。

《アカデミックパーソンの役割と中流階級、マスメディア》

・学識経験者のもう一つの役割は、中流階級に貧困の現実、その原因を知らせる役割を持つはず。社会を教育する責務がある。そのために、私は定期的にいろんな新聞に記事を出している。メディアを巻き込むことは重要。一般に貧困国では、メディアは体制側に偏っている。Assembly of the Poorの際には、どうやってメディアの参加を促すかに関して、とても熟慮した。またあのようなAssembly of the Poorのイベントそのものが、社会の教育には大きな影響があった(多くの中流、上流階級層が貧困者の存在を意識し、貧困者の本当の問題を知った)。

Bantonさんの歴史、なぜ大学をやめたのか。。。》

1980年まで20年ほどタマサート大学の社会学の教員だった。パクムンダムにはそのころから関わっていた。しかし、はじめは先に述べた伝統的な研究スタイルだった。つまり貧困者は対象であって、主体ではなく、研究の利益は私にだけ来ていた。まわりも皆そうだった。でも実際に貧困者と関わる中で、問題を感じるようになり、先に述べた第2のスタイルの研究(貧困者自身がPeople’s Processを発展させる際に、直面している問題、その根を見出し、それを解決するための研究、また研究とコミュニティー・オーガナイズを一緒に、またそのようなプロセスにおいて開発ワーカーは何をすべきか等)を行おうとした。しかし、大学というところはあまりにも制約が大きすぎる。教育と貧困者のオーガナイジングと研究を一人の人間が全部やることは不可能。よって大学を辞めた。それでも、第2のスタイルの研究は続けられるし、その成果は、論文ではなくてコミュニティー、コミュニティーネットワーク、people’s processの発展として表せる。また中流階級への情報提供や社会の教育も大学にいなくても続けられる。

 


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