2006年1月30日のうつぼ公園・大阪城公園での野宿者の強制排除に関して


1月30日に大阪城公園、うつぼ公園の約20名の仲間のテントに対して約1000人の警察、職員、ガードマンがやってきて強制排除(行政代執行)が行なわれました。 このことは、新聞・テレビなど多くのメディアを通じて報道されたのでごそんじの方も多いでしょうが、一部に誤解を招くような報道もあったように思います。 そして、そのような報道を読み、見て、この件に関して、誤解をしたままの方も大勢おられるように思います。
  その原因として、そもそもなぜ野宿者が急に増えているのか、 その野宿者が日ごろどのような生活をしているのか、なぜ公園に住まざる得ないのか(決して自己責任の範囲の話しではないと思います)、そして公園から排除されることが彼らの生き死にに直結するといった野宿者に対する基本的な事柄が理解されていないことがあるように思います。 また、今回の強制排除においては1月30日のメディア受けする激しい場面だけが報道されていますが、実はそれ以前に、当事者たちやその支援者たちは、行政との地道な交渉を試みていましたし、当日も彼らは「終始非暴力で臨む」ことをお互いに確認しあっていたそうです。そのような経緯も ほとんど知られていないように思います。さらには、当日の報道についても、行政がテレビカメラを追い出して公正な報道を妨害しようとした行為や追いれた人々を受け入れるために支援側が用意した他公園のテントなどを先回 りして撤去、封鎖、その行き場すら奪うと言う、救命ボートを奪うような行為はほとんど知られていません。
  それと同時に、もう一つ、今回の出来事が国内法や国際法においてどの点で違法であるか等についてもほとんど一般には知られていないと思います(例えば、 日本政府は、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)を1979年に批准していますが、この社会権規約委員会は、1997年に「強制立退きに関する意見書(一般意見第7号)」を採択しており、 そこには、「立ち退きによって個人がホームレスになったり、人権を蹂躙されるようなことがあってはならない。また立ち退きの犠牲者が自分の力によって必要な手段をとることができない場合には、国家側はすべての適切な手段、そしてありうる資材を用いて、代替住宅、再定住、生産可能な土地などそのケースに適した援助を確実に行わなければならない」と 記されており、さらには2001年8月にこの委員会は日本政府に対して委員会は「強制立退き、とりわけホームレスの人々のその仮住まい場所(路上のダンボールハウスや公園の小屋を含むそうです)からの強制立退き、およびウトロ地区に長期間居住してきた人々の強制立退きについても懸念する。(中略)これは委員会がおよび第7号で確立した指針に違反するものである。」と 警告を発しています)。

  そこで、以下にこの問題について、特に上述したような背景を知った上で皆様にきちんと考えていただくための材料を載せておきたいと思います。

なぜ野宿せざる得ないのか。
→簡単な図(旧ゼミ生チルコ作:PDF)
→うつぼ公園・大阪城公園の野宿者を支援している団体による説明

なぜ公園に住まざる得ないのか。
→関西テレビ「FNNスーパーニュース ほっとカンサイ」で放映された「なぜ、公園を離れないのか」という特集から
※もちろん下記の抗議声明等にもこの理由が書かれています。

1月30日以前の交渉等の経緯
→うつぼ公園・大阪城公園の野宿者を支援している団体による説明

法律上の問題(国際法、国内法)
→大阪弁護士会による緊急要請(会長声明)
→ある憲法学者が行政代執行直前に大阪市長あてにだした要請書(PDF)
→私も属しているアジア居住ネットワーク(ACHR-Japan)が行政代執行直前にだした要請書
→HIC(Habitat International Coalition ), ACHR(Asian Coalition for Housing Rights)から大阪市に出された要請書。

行政代執行当日の写真

靱公園・大阪城公園での行政代執行による野宿者強制排除に対する抗議声明(2006年2月2日)

【靱公園自治会声明】(当事者の声明です:2006年2月6日)

強制排除抗議・要請書(第2版:2006年2月12日)

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