リレーエッセイ「ケアを語る」

2回   「こころのケア」と養護教諭   東日本大震災での被災者支援から
大谷 尚子(聖母大学看護学部教授/養護学)

 過去に一度被災を経験した人たち、そして、多くの他者から助けてもらったと思っている人たちは、誰かが困った状況にあると知ったならば、今度は自分達の出番だとすぐに行動に移していくのだそうだ。今回の東日本大震災のときは、阪神淡路大震災を経験した兵庫県の人たちや中越地震を経験した新潟県の人たちの応援が際だっていて、有益な支援であったという。

 そこで、東日本大震災に対する兵庫県の支援体制を、ホームページから見てみた。そうすると、被災者支援に出かけた人たちの内訳と人数が表になって示されていた。多くの人数が派遣されていたのだが、私はその表の枠組みに注目してみたい。

 その表の上段は、「医師、歯科医師」「保健師、助産師、看護師」「薬剤師」…「事務職」「臨床心理士」と専門職の名前が並んでいるのだが、その次には「こころのケア」「その他」とある。ここに「こころのケア」という項目が並んでいる。職種名ではないけれども、「こころのケア」をする人たち、という意味なのであろう。

 そして「こころのケア」の列の欄を下になぞっていくと、いろいろな人たちが挙がっている。「避難所」の行の欄と交錯する箇所には、看護師、医師、精神保健福祉士、事務職、臨床心理士、ケースワーカー、連絡調整員、保健師、精神科医等の職種が列挙されていた。

 避難所に派遣されたこのような職種の人たちは、実際の場面ではどのようなことをしたのだろうか。想像してみるのだが、派遣された支援者は、避難所生活をしている人の傍らに立ち(座り)、その方の困っていることを教えてもらう必要がある。そのためには話してもらうような声かけやかかわる姿勢が大事な要素となる。これまでは、患者さんや利用者さんの側から求められる立場であり、言ってみれば、自分は座って待っていれば相手がやってくる立場であっただろう。

 しかし、今度は、自分のほうから出かけて行き、自分の相手になっていただけるようなかかわりをしなければならないのである。これまでとは勝手が違う。自分の職業的能力を発揮する前に、自分の人間性・感性が被災者に吟味される立場になるとも言える。それは、これまで専門職としてやってきたこととは立ち位置が異なることであり、ある意味、自分の仕事の基本姿勢を問い直すことにもなるだろうし、自分自身を見つめるときになったのではないか、そして学ぶことが多かったのではないかと推察する。

 さて、また、表に戻ってみてみよう。「こころのケア」の列と「教育対策」の行の交錯する箇所には、「学校避難所運営」「児童生徒のこころのケア等」という言葉が埋まっていた。この「児童生徒のこころのケア等」の項にあてはまるのが、養護教諭の被災地派遣であろう。

 養護教諭は、普段は学校で児童生徒の養護を担当する職種である。養護教諭は自分の学校だったら、全校の子どもたちの担任と言われるほど、学校の誰よりも、子どもたち一人ひとりのことを知っているとも言える。そして、保健室で、怪我したとか、からだの調子がおかしいとか、教室に居られないとか、いろいろな理由で来室する子どもたちに向き合っている。子どもの「こころ」と「からだ」及び「暮らし方」を総合的にみて行き、その子どもが今、必要としていることを把握・査定し、子どもとの協働作業的なかかわりを教育の営みとして行うことになる。

 そのような行為は、たとえ怪我の処置であっても、単に「からだのケア」をしているだけではなく、あわせて「こころのケア」もしていると言える。だから、「こころのケア」のために養護教諭が派遣されることは、自然のなりゆきとも受け止められよう。では、養護教諭の立場で、被災地にでかけて行き、どのような「こころのケア」をしたのだろうか。

 4月上旬、私の知り合いの若い養護教諭から連絡があった。その養護教諭は「児童生徒のこころのケア」のために県から派遣されて、被災地の学校に行くことになったとのことである。被災者のために何か自分が役に立つという嬉しさが伝わってくるメールであった。そして、その活動が終わって、どんなことをしたのか、報告を聞いた。

 活動したことの主な内容を列挙すると、校舎内の清掃準備及び避難所となっている体育館での健康調査、校舎内の清掃及び消毒、清掃用具の整備及びトイレ前マットの洗浄、被災校養護教諭の被災体験の傾聴および校舎内の清掃であった。学校が再開されていない時期であったので、登校してきている子どもたちの数は少ないこともあったが、基本的には直接、子どもにはかかわってはいない。「こころのケア」をするために派遣されてきたにもかかわらず、ほとんどが校舎内の環境整備だった、ということになる。

 派遣の期日も終わりに近づいた頃のこと。ボランティアの学生と一緒に、まだ未実施の場所をみつけては清掃をすることになった。オープンスペースや廊下の清掃、津波に呑まれた被災者たちが保温のために使ったカーテンをみな取り外して洗濯し、床のワックスかけをしていた。ワックスを全てかけ終わった時、光る床を見た被災校の養護教諭から「きれい」「ほっとする」「学校に戻った」という言葉を聞くことができたそうである。

 環境整備については「子どもたちに日常を」「学校内だけでも震災の爪痕を少なくしておきたい」という思いで作業をしてきたが、この時、「養護教諭を始め大人にだって、日常は必要なのだ」という当たり前のことに、若い養護教諭は気づかされたと言う。また、トイレ清掃が完了した時、教頭先生から笑顔で「人手が足りず、手が回らなかったが、一番気になっていたところだった。ありがとうございました」という言葉をもらっている。

 被災校の養護教諭や教頭先生の、気になっていながら手をつけられずにいたことに手をつけ、二人の方から満面の笑みをいただいた様子が伝わって来る。被災校の方から言われたことではなかったが、支援する側が必要だと感じ、また、被災者側の心の奥にある思いを汲み取り、彼女は行動したとも言える。「こころのケア」をするために派遣されたと思ってでかけた若い養護教諭は、きっとはじめのうちは、なんで清掃をしなければならないのかと思ったかもしれない。「こころのケア」をしにきたのに、なぜ、環境整備なのかという疑問が生じても不思議ではない。しかし最後に、派遣されたその若い養護教諭は、自分の被災地派遣の成果を次のようにまとめていた。

「環境を整えることは子どもも大人も関係なく、被災者の気持ちを落ち着かせることに繋がるのだろう。今回の活動で、私は保健室で子どもに対して〈身体を通してこころに触れる〉ことはなかったが、広い意味では〈こころのケア〉の活動に携われたのではないかと考える。」

 子どもに直接、接することができなかったことによる不全感をはじめのうちは抱えていたのかもしれないが、最後の段階で、彼女自身も自分の行ったことの意義を確認できたようだ。私も、ほっとした。


注:若い養護教諭の活動の詳細については、『学校健康相談研究』第8巻第1号(日本学校健康相談学会)に掲載されている。